時間薬の効き目

Category : 吐息とも吐かないつぶやき

一年前の今日、東日本大震災で被災された方々に深くお見舞い申し上げます。
また、震災で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。



僕にとっては、一年前の今日は、あかねの余命宣告を受けた日でもあります。
そしてあかねは、告げられた余命よりもうんと短い、ほぼ一箇月後に天に昇ってしまいました。

被災された方々の無念や哀しみは、僕にはとても想像しえるものではありません。
でも時期が重なることもあって、震災のその後の経過と自分の日常や気持ちの移ろいをダブらせることはありました。

今日は震災報道番組がいくつも組まれ、僕はどの局と決めるでもなく、テレビから流れてくる映像を見ていました。

ある局の番組の中で、インタビュアーがある被災者の方に、一年前と今の気持ちの変化についてたずねていました。

「(時間の経過とともに)落ち着いてきたぶん、実感が強くなってきた」

インタビューを受けた方は、そのように答えていました。

インタビューの冒頭から見ていたわけではないので定かではありませんが、話の文脈から
・・・「大切な人の不在」をより実感するようになった・・・。
という答えだったと思います。


激しく共振しました。


僕は以前このブログのどこかで、<さも物分りのよさそうな調子で「気持ちはわかる」と言われて嫌悪感を抱いた>というようなことを書きました。
(記事本文でなく、コメントの返信だったかな?)
それ以来自分でも、たとえ同じ境遇の人に対してであったとしても、その言葉を使うのには慎重になりました。

でも、今日テレビから流れてきた被災者の方のその言葉に、思わず

「あぁー・・・その気持ちわかる」

と無条件に共鳴してしまいました。

確かに、毎日泣いてしまうようなことはなくなった。
あかねの遺影に向けて穏やかに語りかけられるようにもなった。

時間が経って気持ちが落ち着いてきたということでしょうか?

でも、相反するように、「あかねを失ってしまった」ことは、どんどんどんどん「現実」として僕に突き刺さるようになってきています。

あかねが亡くなった直後、僕にとってあかねを亡くしたことは、非現実的でどこか嘘のような出来事でした。
でも、一年近くの時間の経過は、それが「現実」であることを僕に強要します。

もう、どうあがいても二人で暮らしたこの部屋には帰ってきてくれない、という現実。
これから何十年もあかねのいない人生をやり過ごさなければならない、という現実。

書き換えようのない現実が、一年前より少しだけ冷静になった頭の中で、より「リアリティ」をおびてきています。
そして、それは一年前とは違う「苦しさ」を強いてきます。

それを言葉に置き換えるのは難しいのですが、
「虚しさ」
という言葉がいちばん近いのかもしれません。



「時間薬」はきっといくつもの種類が必要です。

僕は最初に処方された時間薬で、泣き止んだ。
でも、その薬はそこまでの効き目しかなかった。

次に現れた症状に効く新しい「時間薬」が欲しい。

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コメント:

No title

自分が立ち直るまでに、再生するために、段階的に、その時の自分に効く
処方箋がほしいです。
この世にある四苦八苦のうち、愛別離苦(愛する者と別れる苦しみ)と求不得苦(求めるものが得られない苦しみ)が老病死より辛い自分です。
苦しみから解放されたいです。
どうしたら解放されるのか?
仏教ではこれらの苦しみから目をそむけずにあるがままに認めることだそうですが・・。
求めるから、得られないことが苦しいのであるから求めなければいい=諦める=悟る、、ということなのでしょうか、、

以前同じ境遇にあった知人がフロイトの「悲哀の仕事」という本を読み、引用していた箇所があります。
> 愛する人に死なれた時、死者には二度と会えないとわかっていても、
> 日に日に思慕は募る。白昼の雑踏の中で死者に良く似た人を見かけ、
> 思わず、本人ではないかと後を追いかけてしまうことがある。
> 同じ経験を何度か繰り返すうちに「あの人は死んだんだ」と
> 次第に悟っていく、あるいは諦めていく。
> 人間はそのようにして失った者への執着や悲しみから、
> 己を解き放ち、前を向いて生きるようになる。

このような軌跡を「悲哀の仕事」と呼ぶそうです。
仏教の教えにしろフロイトの文章にしろ、言いたいことはどこか
共通しているように思えます。

いつも、むらさきさんへのコメントを書いているけれど、自分への
言い聞かせにもなっています。
現実は受け入れなきゃいけない、でも、希望は諦めない。
むらさきさんが自分への最初のコメントに書かれたように、
いつか必ず大切な人の元にたどり着きたい。

Re: No title

うらんさん

コメントありがとうございます。

フロイトの説く<悲哀の仕事>に当てはまるなら、僕また今まさに仕事で大忙しの時期かもしれません。
確かに心は毎日毎日忙しくして、いささか疲弊気味です。

「いつかは逢える」というやみくもな思い込みだけが、この大仕事を支えているような気がします。

そう、「思い込み」なのかもしれません。
だから僕は常識的で冷ややかな考え方は捨てたい。

「いつか絶対逢える」

と信じなければ、とてもやり切れません。



No title

読みたいのに、背景の色に文字の色が沈み込んでしまって読めません。
私はモニターの輝度を落としているので、なおさらだとは思いますが、
それにしても他の人のブログで読めないのはひとつもないので、
もう少し文字の色を明るく(はっきり)してくれないでしょうか。
本当に暗い。
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これまでにほんブログ村の「子宮がん」カテゴリに参加していましたが、思うところがあり、登録をはずさせていただきました。ご了承ください。
プロフィール

むらさきせいじ

Author:むらさきせいじ
2011年春、妻をなくした40代です。
本当に本当にありふれた人間ですが、人生の半ばともいえる40代で世界中でいちばん大切な人を喪失したことはそれなりに特異なことだと思います。
そんな状況におかれた心情を綴っていくことで少しでも心が解放されたらと思っています。
プロフィールのサムネ画像は、妻が描いた僕の顔です。

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