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切なくて幸せな感情

Category : 吐息とも吐かないつぶやき

今日会社からの帰り道、夏を間近にした夕暮れの空が切なく見えました。いや以前だと「切なくて幸せ」に見えたと思います。今日は本当にただただ「切ない」という気持ちのみで空を見上げました。

僕は読んだことがありませんが「ライ麦畑でつかまえて」という小説で、主人公が「切なくて幸せ」な感情を覚える場面があるのだそうです。

その小説のどんなシチュエーションで主人公がそんな心持になったのかは知れませんが、
「切なくて幸せな気持ち」にはなんだかそこはかとない共感を感じることが出来ます。

すごく悲しげな曲がその旋律とは相反する幸福感を呼び起こす。
あれは一体何なんだろう?
あるいは台風の日に家に居ると、何か「守られている」という包容感を感じます。

あれはどういう心理に起因しているのだろう?

自分なりにロジックに当てはめてみたところ、以下のような仕組みではないかと考えました。

人は自分にとって切迫した実害のない程度の悲しい場面や切ない場面に触れることで、無意識に自分の「幸せ」を実感しているのではないかと思うのです。
(非常にシリアスな悲しみや困難では「幸せ」を感じる余裕はないでしょうが・・・)

つまり、悲しげな曲や、窓の外で吹き荒れる風や、闇に席を譲ろうとしている夕陽が刺激剤となって、「今、悲しいこと切ないことを見聞きしているけど、僕には○○という幸せがある」ということを悲しさや切なさの反動として思い起こすのではないかと思います。

○○の箇所は「家族」「恋人」「健康」かも知れないし「やりがいのある仕事」かも知れないし、「お金」だと言う人もいるでしょう。

僕にとっては言うまでもなく「あかねの存在」でした。

彼女が傍にいるから、そしてこれからも一緒に歳をとっていくはずだから、という幸福感を無意識に抱いていたので、僕はこれまで悲しいことや切ないことに反応して「幸せ」を垣間見たのです。

今日見た夕暮れの空が、「ただただ切なかった」というのはこう考えると自分の感情に説明がつきます。
幸せのバックボーンを喪失した僕には、今は悲しいものや切ないものは、悲しくて切ないもの以外の何ものでもありませんでした。


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むらさきせいじ

Author:むらさきせいじ
2011年春、妻をなくした40代です。
本当に本当にありふれた人間ですが、人生の半ばともいえる40代で世界中でいちばん大切な人を喪失したことはそれなりに特異なことだと思います。
そんな状況におかれた心情を綴っていくことで少しでも心が解放されたらと思っています。
プロフィールのサムネ画像は、妻が描いた僕の顔です。

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