支えられてここまで来ました。

Category : 吐息とも吐かないつぶやき

明日は祥月命日。

あかねの母親の透析のスケジュールの都合で、墓参りには今日行ってきました。


まる5年になります。



生身の人間として生きていれば、日々いろいろなことが起こって、
苦しんだり、哀しんだり、切なかったり、
穏やかだったり、安らかだったり、
楽しかったり、嬉しかったり・・・

誰しもが多かれ少なかれ、
心を揺らしながら、彷徨いながら、おぼつかない足取りで、
それでも昨日から今日へ、今日から明日へ、
一日一日を積み重ねているんだろう・・・と思います。

そしてきっと、そんな誰かの人生には、
支えてくれる誰かや、背中を押してくれる誰かや、手をたずさえてくれる誰かがいるんだろう・・・と思います。


僕のこの5年間を支えてくれた誰か。

もちろん大勢のひとに支えられてきたと思っています。

両親たちや友人、そしてこのブログを閲覧してくださった方々、拍手を送ってくださった方々、コメントを寄せていただいた方々。
5年という節目に、このことをしっかりと胸に刻み込んでおきます。
ことに、このブログに訪れてくださった方々とはどなたとも直接お会いしたことはありませんが、ほんとうに「支えられた」と身に染みています。
見ず知らずの僕の文章に触れてくださり、お言葉を寄せてくださり、心から感謝しています。
自分の言葉を誰かが受け止めてくれているということに、どれだけ心が支えられたか・・・
ありがとうございました。



それから、もうひとり。


あかね。


「あなたにもう一度逢いたい」という願い。
「あなたにもう一度逢ってもらえる人間でいたい」という想い。

この気持ちが、僕を崩壊させることなく、今日の日まで生かしてくれたことに間違いはない。


朝僕が、あなたの遺影に、

「今日も頑張るわ」

と声を掛けた時の、

あなたの、

「がんばれー」

という声は、

決して僕の鼓膜を震わせてくれないけど、

この胸には、キッチリ届いてるよ。

ほんとうだ。



だから、僕は今も生きている。


昔からずっと、今日も、そしてこれからも、

あなたは僕を支えてくれる。


ほうぼうに言いふらしたい。

「オレは、いい奥さんもらった」


あかね、
これからもよろしくお願いします。


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コメント:

お二人のお心穏やかでありますように

むらさきさん こんばんは
お命日によせて
あかねさんが楽しく幸せなところにいらして
せいじさんに がんばれー のエールをゆるーく 贈ってくれていることをお祈りしています

むらさきさんが ご自分が支えていらっしゃる人たちに「支えられている」と感謝されていること 率直に すごいなって思います
私は 義務ばかり増えて 辛いな 投げ出せたらいいのにな って思ってばかり
誰からも支えてもらえないって感じてしまっています
こんな気持ちじゃあ 夫に会えても褒めてもらえないなあとは思うんですけどね…

むらさきさんは あかねさんから「よーやった エラい!」って そのときが来たら 褒めてもらえますね 必ず!

No title

こんばんは。

せいじさんにとってのこの5年は想像を絶するほど長くて辛かったでしょうに、
周りの方たちへのお気遣いの言葉の一つ一つが胸に沁みます。
でも、せいじさんがそう思えるのはお二人のお人柄なのではないでしょうか。
誠実で丁寧なコメントのお返事にも温かい真心を感じます。

せいじさんが役目を果たしてあかねさんに会える日が一日も早くきますように。
そう願ってやみません。

Re: お二人のお心穏やかでありますように

usuriさん

コメントありがとうございます。

友人が遠方からあかねの墓参りに訪ねてきてくれたこと。
あかねのかつての会社の同僚が、あかねの墓参りを申し出てくれたこと。
哀しみを分かち合える両親たちがいたこと。

このブログで、たくさんの励ましをいただいたこと。

などなど、

思い浮かべれば、それらの何ひとつが欠けていても、今の僕はなかったかもしれない・・・と想うと、

やっぱり僕はこの5年間をひとりぼっちで歩いてきたわけではない。

と思えます。


あかねとまた逢えて、

「よーやった エラい!」

とあかねが言ってくれたなら。

「うるせぇ、勝手にひとりだけ先に逝きやがって!」

と照れ隠しに毒づきそうな気もします。

でも、その次の瞬間、

ゼッタイに泣くな・・・とも思います。

Re: No title

南さん

いつもコメントありがとうございます。


“お二人のお人柄なのではないでしょうか”


↑ここのお言葉が、ほんとうに嬉しいです。


僕は僕ひとりで成り立っている存在ではなかったし、あかねも(多分)僕を自分の存在の一部としてくれていたと思います。

「ふたりでひとつ」

夫婦として、この高みに辿り着けていた・・・ことは、僕の人生の宝物です。

僕だけではなく、あかねだけでもなく、
僕ら「ふたり」に向けてくださった言葉は、嬉しさも倍増します。

ありがとうございました。

No title

頑張らないと生きていけない遺された者の辛く哀しい日々も、亡き奥様への愛情の深さで乗り越えてきたのだろうと感じるコメントに涙と共に勇気をもらいました。
48歳の妻を癌で亡くし1年半。日々苦悩しています。
コメントの言葉から穏やかな心境で死別を受け入れ悟られているように感じました。
私も妻に感謝しながら、妻との再会の日に笑顔で逢える事を願って供養の毎日を過ごして生きます。

Re: No title

裕さんへ

コメントありがとうございます。

承認と返信が遅くなり申し訳ありません。


5年という時間を経て、大泣きすることはもはやありません。
穏やかに「その日」を待ちたいという気持ちにも偽りはないと思います。

でも、「死別を受け入れられているか?」「悟っているか?」
と、問われれば、僕は修行の足りてないありふれたただの男なので、

今でも、あかねの身に起きたことは決して起こるべきことではなかった・・・と憤りをぬぐいきれません。

遺影に向って、「早く呼んでくれよー」と罰当たりなことをつぶやくこともしばしばです。

でも、そんな自分の憤りや弱さを否定するつもりもありません。


なんでかって、やっぱり僕はあかねのことが好きなんです。

だから、あかねをさらっていった運命を憎み、逢いたい気持ちを素直に口にすることをはばかりません。


5年経ったけど、この先の一人旅はもっともっと永いはずです。
僕は生身の人間です。
そのくらいのことは、自分自身を赦しながらじゃないと、
「もたないぞ!」
と思います。

“自分の気持ちに誠実に”

これ、なんとなく遺されたものが生きていくためのひとつの「コツ」のような気がしています。


> 私も妻に感謝しながら、妻との再会の日に笑顔で逢える事を願って供養の毎日を過ごして生きます。

まったく同感です。

お互い、この先永い旅が待っていますが、いつかは旅の荷物を降ろす日が必ず来るはずです。

その日まで、なんとか歩き続けていきましょう。


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5月29日に秘信をくださった方へ

コメントありがとうございました。

お返事が大変遅くなり申し訳ありません。


あれから6年目に入ったここ最近ですが、
また少し心が沈み気味です。
感情のコントロールがつかないこともあったりして、
1箇月以上、記事も書けてません。

なんだか、この5年間の疲れがここにきて「どっ」と押し寄せているのか、
単に歳のせいなのか、わかりませんが、
何事にも億劫で、自分自身で「精気」が衰えていることを実感します。

以前なら、こんな低調な気持ちもなにかしらの言葉に変換して、この場に残すことができていたと思います。
そして書くことで、気持ちの整理がついたりすることもありました。

今は、それがなかなかできません。


4月18日に書いた記事は、素直に書けていると自分でも思いますし、時間的な区切りの記事としてこれからも自分で読み返すことがあるだろうなー、と思える記事です。

でも、あれから1箇月ちょっと経過して、このありさまです。
今はただ、為すすべなくこの状況をやり過ごそうとしているのみです。


なんだかこんな返信でほんとうにすみません。

何を言いたかったのかといえば、
僕もまた、愛するひとを喪って、いまだ心を乱高下させながら生きている渦中のひとりだということです。

偶然、見つけブログを拝見いたしました。
同じ境遇の男として、一言だけ。
小生も、妻をガンで亡くして約1年になります。
やはり、元のような生活には、戻る事は難しいです。私は、死別から一年が経過し、己の心のありようを客観的にみると、深い悲しみ辛さ大きな寂寥感は、決して無くなりはしませんが、少しだけ和らいで来たよう感じます。そこで、グリーフワークの途中の男としてお尋ねします。管理人さんは、死別から5年経過して、一年目と五年目とでの心の変化はどのような状況でしょうか?
ぶしつけな事をお尋ねしておりますが、もし、教えて頂ければ、今後の励みしたいと思っています。宜しくお願い致します。

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Re: タイトルなし

光風山人さん

コメントありがとうございました。

ご質問の件について、いろいろと想いを巡らせているうちに時間が経ってしまいました。
返信がおそくなり申し訳ありません。

ご質問に対して、様々なことを考えましたが、話が長くなるだけでとりとめがつかなくなりそうなので、
できるだけシンプルにお答えしようと思います。

最初の一年目。
周りのことなんて何も見えてなかった感じです。
ただただやみくもな日々を重ねていました。
自分のこの先の人生のことなんてあまり考えていなかった、と思います。
ただひとつ、
自分が死んだら、あかねにまた逢える・・・ということだけを信じたくて、
そのことに脳細胞の大半を使っていたような気がします。
あかねにもう一度逢えるなら、何もかもどうだっていいや・・・
・・・とある意味、あかねを喪った哀しみや絶望いった感情やあかねとの再会を夢想することが、自分自身の将来に対する思考を押し隠していたと思います。
(だから、43歳で転職するなんて博打を打ったり出来たんだと思います。)

でも、これは言い方を変えれば「逃避」だったと言えます。

そして今、
5年経ち、目も多少慣れてきて、この世界を生きることのリアリティと日々対峙しています。
この現実世界を生きている以上、不快な出来事に巻き込まれたり、不安にさいなまされたり、失敗にへこんだりすることは、日常的に起こりうることです。
こうした事態は誰にでも降りかかることで、死別体験があるから「むらさきさんには少し手加減しておこう」なんて神の手は、残念ながら差し伸べられません。

仕事のこと、老いていく親達のこと、そして5年前より明らかに錆びてきた自分の体のこと・・・などなど。
ただつつましく、ひそやかに、あかねのことだけを想いながら日々を重ねていきたいのに、現実は放っておいてはくれません。

いつのころかは自覚がありませんが、
「逃避」しようとしていたところを、ある時誰かに首根っこをつかまれて、
「あんたには、やるべきことがあるだろう!」
とたしなめられて現実世界に引き戻された・・・
そして今に至っている感じです。
(そして、首根っこをつかんだのは、きっとあかねだろう、と思います。)

この世界で降りかかる困難をひとつひとつつぶしていかないと、
僕は僕の役割を果たしていかないと、
僕はあかねのところに逢いにいくことはできない。
「やりきって」はじめて僕はあかねに逢いにいく資格ができる。

そう自分に言い聞かせることで、一日一日を重ねています。

でも、
やっぱり折れそうなときはあるんですよね。
嫌なことがあった日、心配事ができた日、むしろ平穏無事な日のほうが少ない毎日。

最近それに対処するために、
紙に思いついたあるフレーズをしたためて、あかねの仏壇に置きました。
毎晩、あかねの仏壇の前に座ってビールを片手にしながら、その紙に目を落とします。
そして、「明日」に立ち向かう気持ちを何とか奮い立たせています。

ちょっと恥ずかしくはありますが、その紙にはこう書いています。

“生きるということは、階段を築くということ。
 どんな一日でも、一日生きれば、階段が一段分天国に近づく”


なにが「シンプルに・・・」でしょうか?!
結局長々と書いてしまいました。

あくまで、ここに書いたことは僕の私感です。
光風山人さんのご参考になるかどうかは僕にはわかりませんが、できるだけ率直に書いたつもりです。

最後に、光風山人さんの奥様が、
今はもう、苦しみや痛みから解き放たれて、安らかでいらっしゃることをお祈りしております。

6月5日に秘信をくださった方へ

コメントありがとうございます。

こうありたい・・・と想ってはみても、生身の人間である僕は、やはり七転八倒しながらでないと前には進めないようです。

でも、何度転んでも、起き上がって歩を進める以外、ほかに道はありません。


光風山人さんからのコメントの返信の中に、その手立てとして最近やってみたことを書きました。
ちょっと照れるような内容ですが、思いついた一節を紙に書いて、毎日読み返しています。

よろしかったら光風山人さんへの返信コメントにも目を通してみてください。

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6月26日に秘信をくださった方へ

コメントありがとうございます。

ずっと読んでくださっているとのことで、重ねてありがとうございます。

5年前の同じ頃、同じ体験をされて、そこからの5年間を生きてこられた方からのメッセージは、
ことさら染みます。


いただいたコメントの中に、とても共感してしまう言葉がありました。

「足踏み」

5年間・・・なんだかやみくもに生きてきた時間だったような気がします。
そしてここに至って、足が前に出なくなってしまいました。

日々せつなくて、むなしくて、
昼間でも目に映る景色が夕暮れ時のような錯覚を覚えます。

ただただ、

「終わり」

が早く訪れることだけを、夢想しています。


こんな感じなもので、ブログも全然更新できていません。

せっかく読んでくださっているのに申し訳ありません。
(なんだか、最近のコメントの返信では謝ってばかりのような気がします)


突破すべき壁が目の前にあるんだ、と思います。
どうしたらその壁を崩せるのか?
答えが見えなくて、喘いでいます。
非公開コメント

お知らせ
これまでにほんブログ村の「子宮がん」カテゴリに参加していましたが、思うところがあり、登録をはずさせていただきました。ご了承ください。
プロフィール

むらさきせいじ

Author:むらさきせいじ
2011年春、妻をなくした40代です。
本当に本当にありふれた人間ですが、人生の半ばともいえる40代で世界中でいちばん大切な人を喪失したことはそれなりに特異なことだと思います。
そんな状況におかれた心情を綴っていくことで少しでも心が解放されたらと思っています。
プロフィールのサムネ画像は、妻が描いた僕の顔です。

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