様々なお別れ

Category : 吐息とも吐かないつぶやき

前回の記事にあるように、
祖母が102歳で亡くなりました。

葬儀は4月10日に執り行ないました。

故人の知人・友人といえば、すでにあちらの世界の住人になった方ばかりでもあるし、
慎ましやかに、近しい親族だけでの家族葬で送ることにしました。

その葬儀で、
いかに参列者が近しい親族だけとは言え、いちおうのけじめは必要だろう・・・ということで、
僕が参列者の前で挨拶をしました。
(本来なら、喪主である僕の父親=故人の長男がするべきですが、健康が優れないため急遽僕が代行しました)

その挨拶のなかで、
僕はこんなことを話しました。

“祖母は皆様ご承知のとおり、100を越える長寿で、とても重い病気で苦しんだわけでもなく、
与えられた天命を、目一杯使い果たした末に亡くなりましたので、亡くなり方としては、幸せな亡くなり方であった・・・と思います。”

本人としては、「老いて朽ちていこうとする自分が幸せ」なんてことは考えもしなかったかもしれませんが、
少なくとも、遺された者たちに打ちひしがれるほどの哀しみや絶望を与えるような死ではなかったことは確かです。
事実、参列者の中に、止めどもなく涙を流す人や、哀しみに打ちひしがれている人はひとりもおらず、時折笑顔が咲くような葬儀でした。
その意味で、祖母は想い残すことはなかったのではないか?
と思えます。



3年前の同じ4月、
僕は、
想いを振り絞るように綴った文章を、
その葬儀の大勢の参列者の前で、
喪主の挨拶として読み上げました。

いかに彼女が愛すべき人であったか。
そんな彼女がこんなにも早く逝ってしまうことがどれほど受け入れ難いことか。
それまでの半年間、苦しむ姿ばかりを見つめていた僕が、いかに元気になった彼女にもう一度逢いたいか。
を訴えました。


逝くものも、遺されたものも、
辛く、哀しく、多くの未練や後悔を胸に抱えながら引き裂かれた「別れ」を知っていた僕には、
昨日の葬儀は、とても穏やかで「幸せ」さえ感じられ、羨ましく思えるお別れの景色でした。



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コメント:

No title

こんにちは。
お久しぶりです。

おばあさま、大往生されたんですね。
せいじさんの言われるように、幸せな最期だったようですね。
読んでいて、私のときも参列した方が微笑んでくれるような葬儀であってほしいと思いました。

せいじさんにとっては同じ時期のお見送りの言葉になってしまい、お辛かったかもしれませんが、しっかりとお父さまの代役を果たされて立派です。

春も終わりに近づいてますが、どうかお元気で。

No title

こんばんは。

大切な人を見送ったら、いろいろな出来事のとらえ方が
すっかり変わってしまうものですね。

命をこんな形で実感することになるなんて、
まさか私が彼を見送ることになるなんて。

まだまだ前を向いて歩くことはできません。
あかねさんとの再会を信じるせいじさんの気持ちの強さが
うらやましい。

私も、信じる生き方をしたい、そう思っています。

桜の季節も過ぎましたね。
今日はベランダで花を植えました。
数年前に一緒に植えた花を選びました。
アメリカンブルーという花です。

花が咲いたら、彼にも見てほしいと思います。



Re: No title

南さんへ

こんにちは
コメントありがとうございます。

祖母の葬儀の挨拶で、僕が言ったコトバ。
その裏には、間違いなくあかねへ馳せる想いがありました。

仮に、あかねが僕より先に逝ったとしても、こんなコトバを素直に語ることができたなら・・・


もう今となっては夢物語ですが、

ふたりで永く永く一緒に歩いて、
どちらかひとりが、
「ちょっと疲れたから、雲の上で休んでもいい?」
ともうひとりに言って、
「いいよ。もう充分頑張ったし・・・。俺も(もしくは私も)もうちょい頑張ったら、すぐ後からそこへ行くから。」
と返して、
「わかった。それじゃあ、また後で・・・」

こんな感じ。

こんなやり取りを、あかねとしたかった。

現実は、
「もうちょい」が、(個人的には)「ものすごく」頑張らなければならなくなったし、
「すぐ後」が、「途方に暮れるほど先」になってしまいましたが、
最後の最後には必ず話の辻褄をつけてやる!

そう思っています。

Re: No title

☆さん

こんにちは
コメントありがとうございます。

「再会」を信じないと一日も生きてられません。


この世界から旅立ったあとの「次の世界」なんてあるわけがない。
「魂」なんてあるわけがない。

(それが正しいか正しくないかは別にして)そんな「現実」的な考えを受け入れてしまったら、その途端にこの「現実」の世界で生きられなくなります。
(この世界で言うところの)「現実」を全肯定したら、「現実」を生きていけません。

なんだか自分でもわけのわからないことを書いている自覚はありますが、
お伝えしたいのは、例えば次のようなことです。


祖母が亡くなって、棺のふたを閉める時に、

「向こうであかねに逢ったらよろしく言っといてくれよ」

とお願いしときました。

その伝言が伝わることに期待できる自分。

そんな自分だから、今生きていられるのだと思います。


☆さんが植えた花が咲いたら、大切な方も喜ばれると思います。
僕も、今年はあかねが生前育てていたブルーデージーを育ててみようかな、と思いました。
花が咲いたら、あかねが喜ぶだろう・・・そう想えば、また少し生き続ける気力も出てきます。

No title

こんばんは。
ありがとうございます。
一言一言をかみしめて、
何度もよみかえしています。

私にとって、
信じることは生きることなのだと
思いました。

今夜は月がきれいですね。
満月を見ると、あの夜のことを
思いだし、涙が出ます。

月を見上げて、彼に話しかけている自分。
私はこれでいいんだと
思えました。

月の傍に、赤い星が見えています。
金星だそうです。

彼に寄り添う私のようだと
勝手に思ってます。
いつか、きっとまた
彼の傍に寄り添える日が
来るはずですね。

Re: No title

☆さん

こんばんは
コメントありがとうございます。

僕の、つたない文章を「噛み締めて」くださって、
ありがとうございます。
嬉しいです。

☆さんのコメントを読んで、
すぐにベランダに出ました。

煌々と月が光っています。
金星も見えます。


あのひとの存在を、
「感じる」こと。

それは、あのひとと共に在った僕たちにしかできません。

大切なあのひとを、
「生かして」あげること。

それも僕たちにしかできません。


あんなに素敵だったひとを、
僕は「無かった」ことになんてできません。

僕は彼女を永遠の存在として、生かし続けて、
生きて、生きて、生きてもらって、

いつか、

もう一度、ふたりの「暮らし」を始めたい。

そう願っています。
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これまでにほんブログ村の「子宮がん」カテゴリに参加していましたが、思うところがあり、登録をはずさせていただきました。ご了承ください。
プロフィール

むらさきせいじ

Author:むらさきせいじ
2011年春、妻をなくした40代です。
本当に本当にありふれた人間ですが、人生の半ばともいえる40代で世界中でいちばん大切な人を喪失したことはそれなりに特異なことだと思います。
そんな状況におかれた心情を綴っていくことで少しでも心が解放されたらと思っています。
プロフィールのサムネ画像は、妻が描いた僕の顔です。

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