年賀状の返信(長すぎる《追記》付き)

Category : 吐息とも吐かないつぶやき

大晦日が昨日なら、元旦は今日、というそれ以上でも以下でもない日になってから3回目の1月。

話題としては少し遅いですが、
今年もほんの数通ですが年賀状が届きました。

せっかくいただいた年賀状ですが、
やはり、どうしても、「新年を慶ぶ」という心境とは遠く離れてしまった自分の気持ちに嘘はつけず・・・
どうしようかと悩んだあげく、結局は昨年同様「季節のお便り」という形で返信することにしました。

年賀状での返信でないことのお詫びと、個人的な想いを短くしたためて、
今日投函してきました。

20140111_01.jpg

「変わらないもの」、そして「変えたくないもの」。
僕の中でははっきりしています。

絶対に壊さない。絶対に失くさない。

文中の2行で短く綴ったコトバの中には、実は切実な決意が潜んでいることを、読まれる方が気付くことはないと思います。
ましてやその決意の核心を、読み取られることもないと思います。

年賀状の返信ですので、あまりに情緒過剰であからさまなことは書けませんが、
でも、僕としては自分の率直な気持ちを、ほんのりとでもいいから滲ませたかった。
そうした意図を溶け込ませて、「さらり」とうまく書けたかな、と思っています。



《追記》

年末年始(やクリスマス、GWなどの世間的に盛り上がる時期)に対する態度について、少し書き添えておきます。

独りになって間もない頃は、意識的に背を向けていたことは否定しません。
無意識に「依怙地」な感情で突き放そうともしていたと思います。
でも今は、そうした時期の喧騒から距離を置くことが、「自分にとって自然で楽なこと」と感じています。
愉しみたい人はその時期の盛り上がりを愉しめばいいし、そうした人たちを否定的に感じることもありません。
でも、一方で「周囲に振り回されることなく、静かに穏やかに時を過ごしたい」というひとの居場所もあっていいはずです。

僕は、マスメディアでよく使われる、
「日本中が感動した!」とか「日本中が涙した!」とか「日本中が歓喜した!」
とかいう表現がもうほんとうに大嫌いです。
無理やりひと括りにして、盛り上がりを扇動しようとするそうした表現にはすごくウンザリします。
「人間て、そんな単純じゃないだろう・・・」
と思います。
いろんな考え方や人生があるはずなのに、たったひとつの価値観にすべてのひとを押し込めようとするかのような「物言い」を、高い波及能力を持つ大きなメディアが軽々しく使うのは「乱暴」であるとさえ思います。
(だから誰もテレビなんて視なくなるんだよ・・・。)

「追記」として書き始めながら、本文と同じくらい長くなってしまったのでこの辺でやめますが、
僕の考え方は、
「僕には僕の居場所があって、僕でない他人にもそのひとの居場所がある。そしてそれをお互いに尊重する」
ということです。
「周りに無関心になるわけではないけれど、囚われることもない」
そんな態度が、今僕にとって無理のない自然な態度です。


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Author:むらさきせいじ
2011年春、妻をなくした40代です。
本当に本当にありふれた人間ですが、人生の半ばともいえる40代で世界中でいちばん大切な人を喪失したことはそれなりに特異なことだと思います。
そんな状況におかれた心情を綴っていくことで少しでも心が解放されたらと思っています。
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