頑な過ぎるのか?

Category : 吐息とも吐かないつぶやき

年が改まりました。
今年は三回忌があり、僕は4月に(なにごともなければ)あかねのこの世での歳に追いつき、そしてそのさらに2箇月後くらいには、あかねがこの世で生きた時間を追い越します。

今年も僕の頭の中をいちばん占めるのはあかねに違いありません。


話は変わって・・・

1月1日夜。
普段となんの変わりもなく平常モードで夕食の準備をしていると、新しい職場の同僚から電話がありました。
何かと思えば年始の挨拶だとのこと。
わざわざ丁寧にありがたいことですが、正直に言えば多少の困惑を覚えながら、僕はその電話に応対しました。

「あけましておめでとうございます」

年始の挨拶でまずは発するべき言葉を、僕はどうしても口にすることができませんでした。。

「今年もよろしく」
みたいな「おめでとう」以外の正月定番ワードに終始することで、その場をしのぎました。


日が変わって1月2日。

ひとりであかねの墓参りに行き、帰り道にあかねの実家に顔を出しました。

あかねの両親は

「おめでとう」

と、話しかけてします。

「どうも・・・」

と煮えきれない僕の返事。

「おめでとう!」

と、再度、今度は若干強めの発声でお義父さん。

「・・・おめでとうございます・・・」

と、もごもごと言葉をかえしました。

もちろんお義父さんとしては、
〈引きずらないでおこう!元気に新年を祝おう!〉
的なメッセージを込めてのことだったとは思います。


そもそも新年の挨拶とはどういうことなのか?

“無事に昨年一年を過ごし、新しい年を迎えられてよかったね”
とお互いに祝いの挨拶を交わす。

民俗学的なというか、アカデミックな見地ではどうなのかよく知りませんが、一般的に認識されているのはこんなところで大きく外れてはいないのではないでしょうか?

でもなー、いないんだもんな。
歳をまたひとつ重ねたことをいちばん一緒に祝いたい相手が。

まぁひがみが含まれていることには違いありません。
新年の挨拶なんて、ある種“記号”なんだからと割り切ればいいんだと思います。
事実、あかねと一緒だった頃の僕は、そこに含まれる意味を考えることなく、記号・定型句として
「あけましておめでとう」を口にしていました。
それが独りになった途端に、記号に(よせばいいのに)意味を見出し自ら拒否反応を引き出してしまいました。

「何がめでたいんだっ?!」

と。

世間的にはこれは、
「頑なに自分の殻に閉じこもっている」
みないな受け止められ方になるんでしょうか?

でも、僕の脳からは間違いなく

「おめでとう」と口にするのはなんだかとても違和感と自己欺瞞があるぞ!

という直感が発信されています。
僕としてはこの直感に従うことを許してほしいだけです。

誰かを戸惑わせたいわけではない。
不幸を気取りたいわけではない。
ただ「自分を欺いている」という感覚をないがしろにすることができずに、自分自身でも戸惑っているだけなんです。

明日は仕事始めです。
昨年は今の職場でなく、前の会社に在籍していて、そこにいる全員が僕が喪中であることを知っていたので、正面切って正月ムードに無視を決め込むことができました。
でも、今年はもちろんすでに喪はとうに明けているし、そもそも昨年秋に入社したばかりでごくごく一部の人しか僕が妻との死別体験者であるということを知りません(というか極力伏せている)。
まちがいなく社内に飛び交うであろう賀詞ワードを、どう失礼のないようにかわして、一日を乗り切るか?
ある意味、一年でいちばん難しい一日になるかもしれません。


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Re: 初めまして(1月3日に秘信をくださった方へ)

1月3日に秘信をくださった方へ

はじめまして。
コメントありがとうございます。
コメントフォームにて返信させていただきます。
ご了承ください。

まずは旦那様のことお悔やみいたします。


このブログを通じてわかったことです。
若くして伴侶を喪ったひとは決して少なくない。

でも、身近に同じ境遇のひとを見つけることは難しい。

身近に同じ境遇のひとがいないということは、身近な人たちも、若くして伴侶との死別を体験した人間との付き合い方については未知の領域だということです。

わかってくれ!
と望むことがそもそも無理なことかもしれません。
僕自身、自分が体験者となってはじめて体験者が単に哀しみだけでない複雑な心理状態に陥ることを知りました。
周囲が体験者の心の機微を想像できないのは、無理もないと思います。

だから、周囲と自分とのギャップに戸惑うことはあっても、今は哀しみに直結することはほとんどありません。
(あくまで「今は」という但し書きがつきます。以前はただただ通じあえないこと絶望もしました。)


僕は、昨年も一昨年も年末最終の記事の最後を
“良いお年を”
という言葉で締め括っています。

一昨年の年末というと、あかねとの別れから8箇月が経過していました。
その頃には許容できていたんでしょうね。
でも、その言葉を使うにあたっては躊躇があったことは確かです。
相手の「幸」を祈る言葉のニュアンスが、比較的許容しやすかったのか、最終的には選択しました。
(でも、今思えば字面で読むならまだしも、これを肉声で言われる側だったら戸惑っただろうな・・・と思います。)

いつか「あけましておめでとうございます」という挨拶も何のこだわりもなく言えるときが来るかもしれません。
ただ現時点ではダイレクトに「慶」をあらわすこの言葉を屈託なく使うことにはブレーキがかかります。
僕はこのことで自分を否定する気はないし、自然な心境の移ろいに任せようと思います。
口にできるようになれば口にするし、違和感がぬぐい切れなければ口にしません。
無理強いをすれば別のところに精神的な歪みが出そうな気もします。
他人の迷惑にさえならなければ、自分の自然な変化に委ねたらいいと思っています。

哀しみは消えません。
少なくとも1年8箇月が経過した僕は消えていません。
でも、心の整理は少しずつついてきてる気はしています。
自分が携える哀しみと自分が生きている社会での現実の日常を、いい意味で切り離してバランスのとれた精神状態を作ることができれば、と思います。


長い上になんだかまとまりのない返信になってしまいました。
最後まで読んでいただいたのであれば、ありがとうございます。

哀しみの只中にいらっしゃるあなた様の明日に、少しでも光が射しますようにお祈りいたします。

Re: タイトルなし(1月3日に秘信をくださった方へ)

1月3日に秘信をくださった方へ

コメントありがとうございます。
コメントフォームにて返信させていただきます。
ご了承ください。

頂いたコメント、おっしゃられるとおりだと思います。
もし、僕も逆の立場であれば、残した妻に
「オレの存在は忘れてくれてもいいから、元気になってくれ」
とさえ考えるかもしれません。

これまでそういうご指摘がなかったことが不思議なくらいです。

「いつも・・・」と書かれているからには、今回の記事だけではなくこれまで僕がアップした過去の記事も含めてのご指摘だと思います。
確かに、これまで僕は他人からご覧になると情けないことも、そのまま記事として綴りました。
また紆余曲折の道程を辿り、今も完全に未来への道筋を明確にしたとは言いがたいし、今回の記事は典型ですが一般世間に融和しかねる思考も抱いています。

でも、情けない心情に溺れることも、紆余曲折することも、世間の常識に違和感を持つことも、全部ひっくるめてもう一度「背筋を伸ばしてシャン」とするための道程ではないかと思っています。

僕は胸の中に積もり積もっていく気持ちを、抱えきれなくて、とにかくどこかに吐き出したくてブログを始めました。
それだけでも、少しおもしが降ろせたような気がしました。
これからもこのスタンスは変わらないと思います。

職を変えたのも、詳しくは書けませんが、あの状況では気持ちがすさんで重大な事態を引き起こしかけないと考えた末であり、
現職では少なくとも以前よりは穏やかな日々を過ごせています。
記事には書いていませんが、案外職場では笑っています。

今回の記事についても、何を些細なことにこだわっているのか?と思われても仕方のないことかもしれませんが、僕としては確かな違和感と自己欺瞞を感じたまま文章にしたことで、自分の今の気持ちのあり方を自覚しました。
気持ちの消化、もしくは決着?はまだ先のことになると思いますが、
現時点で自分はこう考えている、だったら今後どうするか?という次の思考の入り口には立ちました。

確かに歩は遅く、回り道もあちこちしているとは思いますが、前には進んでいる実感はあります。
(もっともこういう心境になれたのは、ほんのつい最近ですが)

おっしゃられる「人生を楽しむ」については正直イメージするのが困難ですが、心が温むようなことには敏感になりました。
それはそれで人生を価値あるものにしてくれると思います。

投げやりになるわけではなく、以前よりも多くを望まず少しゆっくり、時折自分と世間にギャップが生じても、慌てずに焦らず無理のない範囲でベストの折り合いをつける。
漠然とではありますが、今はそんなスタンスで日々を重ねていければと思っています。

以前から妻の遺影には、
「心配すんな」
と語りかけてきましたが、多分に強がりが含まれていたことは否めません。
でも今はもっと肩の力を抜いて語りかけることができています。

妻が天から今の僕を見て、どう思っているのか?
確認のしようがありませんが、もしヤキモキしているなら文句を言いに出てきてほしいもんです。


果たして、お答えになっているかどうかわかりませんが、ご指摘に対して思うがままに書いてみました。
また、書くことでこれまで自分が辿った道のりと今の立ち位置をなんとなくですが把握することができました。

お体のことご自愛ください。
快方に向かわれることをお祈りいたします。


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Re: No title(1月4日に秘信をくださった方へ)

1月4日に秘信をくださった方へ

こんばんは。
コメントありがとうございます。
コメントフォームにて返信させていただきます。
ご了承ください。

何度もコメントの返信で書かせていただいていますが、
こんな極めて独りよがりな、気勢の上がらない、泣きの入ったぐだぐだのブログが、世の中のどなたかにとってポジティブに響くということは、
本当に本当に本当に驚きであり、嬉しいことです。

あかねにも今日、こんな嬉しいコメントをもらった、と伝えました。

コメントの中のお言葉のように、僕ははたして“乗り越えているのか?”
自分ではよくわかりません。
事実、今日の仕事始めで、年末年始の休暇中のことについて、何ら楽しい話ができなかった自分に少し(ほんの少しです)凹みました。

でも、それが何なんだ・・・という、いい意味での吹っ切れがあることも確かです。

僕は少しずつではありますが自由になれているような気がします。


年始の「あけましておめでとう」を大切なひとのもとへ近づいた祝辞ととらえること。

智慧のある素晴らしい大人の折り合いのつけ方だと思いました。

仕事始めの今朝、僕は会社に出社して、全員がその場にいる頃を見計らって事務所に入り、
「おはようございます。あけましておめでとうございます!今年もよろしくお願いします!」
と一気に言い放って、その後、年始の挨拶ワードをを一切発せずとも何とか赦してもらえるような、
そんな作戦に出ました。
単細胞的な、こどもの突破策です。


僕には、正直“乗り越えた”という達成感がないことを正直に告白しておきます。

これまで僕は、深い沼に沈んだり、少し浮力を得て水面の光を仰いだり、
と思ったら、また沼の底を見つめたりの繰り返しでした。

これからも、その浮き沈みを繰り浮き沈みを返していくことと思います。

それならそれで、そのまんまを、きっとこのブログで書きなぐっていくと思います。
そうすることが、自分の心を鎮めたり、高揚させることを僕はもう知ってしまいました。
いつまで、とは自分でもわかりませんが、まだまだ続けます。

面白い、心和む記事が書けるかどうかはお約束できませんが、必ず自分に誠実に書きます。
よろしければ、これからもお付き合いください。

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Re: お礼(1月5日に秘信をくださった方へ)

1月5日に秘信をくださった方へ

コメントありがとうございます。
4日~6日まで仕事だったため、お返し遅くなりました。

想いの一方通行はせつないもんです。
お互いにそのことは日々痛いほどに感じていることと思います。

確かにこのブログをはじめたのは僕自身ですが、今ではこのブログを訪れてくれる皆さんに
“書かせてもらっている”
という感覚があります。

ご自分の時間を割いて、僕の書いた記事を読んでくださったり、拍手をくださったり、コメントをくださったり・・・
間違いなく、そんな大勢の方のレスポンスが励みになって、ここまで続けられました。

ただこれから先も、このブログが根っこの部分で「僕自身のための」ブログであることには変わりありません。
これからも自分が感じたままを、このブログで書いていきたいと思っています。

また訪れていただけるとうれしいです。
ありがとうございました。

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Re: はじめまして(1月7日に秘信をくださった方へ )

1月7日に秘信をくださった方へ

はじめまして。
コメントありがとうございます。

あかねは生きている間、いつも幸せだったろうか?
僕にはわかりません。
そして自信がありません。
僕はきっとあかねを振り回したこともあっただろうし、悲しませたこともあっただろう・・・
と思います。

だからこそ、後悔は絶えないし、再会してその償いをしたいと強く強く望んでいます。
僕は、いずれ僕も逝くことになるであろうあかねの住む世界で、あかねが以前と同じように僕に逢ってくれるように、彼女のことを想い続けます。


このブログにコメントできない立場の人なんていません。
また何か思うところがありましたら、ぜひお声を聞かせてください。

お身体のこと、どうぞご自愛ください。
快方をお祈りいたします。
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お知らせ
これまでにほんブログ村の「子宮がん」カテゴリに参加していましたが、思うところがあり、登録をはずさせていただきました。ご了承ください。
プロフィール

むらさきせいじ

Author:むらさきせいじ
2011年春、妻をなくした40代です。
本当に本当にありふれた人間ですが、人生の半ばともいえる40代で世界中でいちばん大切な人を喪失したことはそれなりに特異なことだと思います。
そんな状況におかれた心情を綴っていくことで少しでも心が解放されたらと思っています。
プロフィールのサムネ画像は、妻が描いた僕の顔です。

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