心のやじろべえに吊るすもの

Category : 吐息とも吐かないつぶやき

こんなブログを発信していると、時折、同年代で伴侶をなくされた方からのレスポンスをいただくことがあります。
そして皆さんが、それぞれに苦しみ、もがき、悲しみ・・・これからの自分の人生を模索されています。

白状すれば、これからのことについて建設的な考えを巡らすより、出てくる感情に流されて時を無為に過ごしてしまうことの方が圧倒的に多いのですが、今回、頂いたコメントに返信コメントを書いているうちに思わず長文になってしまい、なおかつ今自分が感じていることが具体的な形らしきものを成してきたので、本文としてアップすることにしました。


これは僕の主観なのですが、あかねを喪ったことで渦巻いた感情すべてから解放されることは一生無い、と思います。
だから、無理やり感情を押し殺すのでもなく、忘れ去るのでもなく、「つき合っていく」というスタンスを取らざるを得ない、と思います。
悲しさを抱えながら、それでも人間としてのバランスを保つには・・・?
これはこれで相当な難問です。
心のやじろべえの片方には「悲しみ」という重ーーーいおもりがぶら下がっています。
やじろべえの均衡をとるには、「悲しみ」の量に見合うだけの感情を吊り下げなければなりません。

僕に限って言えば、悲しみと張り合うための感情に「楽しみ」はどうも入りそうにありません。
妻を送って以来、「楽しい」という感情が心の底から湧き出でてきたことはありません。
そしてこの先も、なんの屈託もなく「楽しい!!」と弾けるような感情を持つことはないのではないかと感じています。

そこで候補に上がるのは「喜び」です。
身近な人が(別に身近でなくてもいいですが)、幸せになることを喜ぶ。
他人に感謝されて喜ぶ。
新しい知り合いができて喜ぶ。
ベランダに植えた花が咲いて喜ぶ。
たまねぎをじっくり炒めて作ったカレーがとても美味くて喜ぶ。
・・・などなど

「楽しむ」よりは少々控えめな感情だけど、それがいちばん素直に持つことのできる、心を豊かにしてくれる、悲しみに対抗できる感情だろうと思っています。

そのためには、人と関わることだろうと思います。
僕はあかねを喪った直後からしばらくの間、もう極力他人とは関わりたくなかった。
煩わしい人間関係や、残念ながらすべての人が思慮に満ちて思いやりを持った人ばかりではない世間からできるだけ遠ざかりたかった。

でも今、引籠りのような日々を過ごしてみて、やはり「喜び」は自家発電できない、ということを思い知りました。
悲しみは独りでもどんどん湧き上がりますが、「喜び」といったポジティブな感情に包まれるのは他人との関わりがあってこそだと気付きました。
先に挙げた喜びの例には、他人に関わりなく自己完結できる「喜び」もありますが、独りきりだと瞬時に萎んでしまいそうです。
でも他人と共有すると、感情の量も賞味期限も膨らみそうです。

経済的な理由ももちろんあります。
周囲の人やあかねを安心させたい、という思いも強くあります。
でも、前の仕事を辞めて最初はのんびりしていた(精神的逃避をしていた)僕が、今、社会復帰を望むいちばんの理由はこんなところにあると思っています。


今回は理屈っぽい内容になりましたが、最後に本音の本音を・・・
きっと僕が残された一生でいちばん喜べるの時は死の間際に間違いありません。
その時僕はこう思うはずです。

「あぁ長かったけど、やっと逢いにいける。」


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コメント:

No title

こんばんは。

せいじさんとは育った環境、性格、夫婦となった相手は違うのに、今回のエントリーは激しく同意せざるを得ません。

私が同じことを自分のブログに書いて将来見直した時、全く違和感はないと思います。

あかねさんが亡くなった17か月経っても彼女は色あせないほど素敵な方なのですね。

私は、妻が亡くなった翌朝病院の霊安室で号泣してしまったのですが、お義母様から「あなたは私の自慢の娘が選んだ人なのよ」と励まされたのですが、「それほど自慢できる人だったから余計辛いんです」というようなことを思わず漏らしてしまいました。

前回の私のコメントに頂いたレス、「どうして善良な人が苦しみながら人生を終えなければならないのか?」、これも本当にそう思います。

ただ、まだ私は妻に会うため天国に昇れるような生き方をして行こうという前向きな気持ちには到達できていません。

いのちの電話に電話してみたり、主治医の前で涙を見せてしまったりと、気持ちが彷徨っています。

Re: No title

さはらさん

コメントありがとうございます。

ひと口に伴侶との死別体験とは言っても、それぞれの悲しみや苦しみは違うはずです。
でも、今回のさはらさんのように、時折、「共感」を伝えるコメントを頂くことがあります。

別れに至る過程や環境は違うはずなのに・・・。

ひょっとしたら、妻⇔夫間の「心のつながり」の強度が同レベルにあった夫婦の体験には共振しやすい、なんてことがあるのかもしれません。

僕はあかねが旅立った直後よりも、通夜・葬儀の前、喪主としての挨拶の内容を考えているときにダダ泣きでした。
彼女の“人となり”を参列してくれた人たちに絶賛してやろう!と、生前の彼女を思い浮かべるうち、彼女の精神の貴さとそんな大切なひとが本当にいなくなってしまったことが実感されて・・・。

> ただ、まだ私は妻に会うため天国に昇れるような生き方をして行こうという前向きな気持ちには到達できていません。
>
> いのちの電話に電話してみたり、主治医の前で涙を見せてしまったりと、気持ちが彷徨っています。

僕だって、「天国に昇ってやる!」という思いとは裏腹に、今現在、先の見えない日々を過ごしています。
人生と気持ちの仕切り直しをしようという想いに突き動かされるまま、前職を辞するという賭けに出たものの、そこで状況はストップしています。
はっきりとカッコ悪い状態です。
でも、「いつかあかねに逢えるような死に方(=生き方)をして、あかねと再会する」という、気持ちだけは生きています。
この先も二人で歩いていけるはずだった数十年の人生を癌に奪われてしまいました。
それを奪い返してやりたいんです。
なぜなら、そのことだけが自分自身を本当に救ってくれることだと思うからです。
そしてその想いが、心が折れる一歩手前で踏みとどまっていられる支えだと思います。

ここのところ、あかねの遺影に「今日はだめだったけど、明日もがんばるからな。」と告げることが、毎晩の習慣になってしまいました。
本当に早く、いい報告をしてやりたい。


だらだらと長文になってしまうという悪い癖がでました。
しかも自分のことばっかりの内容ですみません。

お互い、多分この先も無いであろう人生最大のダメージを受けたと思います。
だから、さはらさんが今心を彷徨わせていても全然不思議じゃありません。

「ゆっくりと元気になってな」

葬儀の日、従兄弟が僕にかけてくれた言葉です。
あの日以来、色々と言葉をかけられましたが、いちばん素直に沁みた言葉です。

No title

『楽しむ』より『喜ぶ』なる程、全くその通りですね。
せいじさんの文章を読んで自分の感情、状況を改めて認知する事が出来ました。

私も別れからの期間は若干長いものの、現在の環境は仕事を辞めた理由も含め、ほぼセイジさんと同じかと思われます。 
気分的には少し安定しつつ外交的になりつつあります。
そして、同じ趣味を持つ若い子達と交流し、正しい方向へ導いて行ければと微力ながら行動しつつ『自分自身の楽しみ』というよりは『楽しませる、新しい楽しみを知ってもらう』事に喜びを感じています。

ただ、自分自身の現実的な事については、半ば逃避も含めて足踏みしたままの状態でいます。その『喜び』自体を刹那的に捉える自分がいました。

今回セイジさんの文章を読んで自分の置かれた状況をハッキリ確認する事が出来、自身の事についても少し踏み出せそうです、『喜び』を継続する為に。
ありがとう御座います。



Re: No title

MON吉さん

コメントありがとうございます。

いくらか先を歩んでおられるMON吉さんの言葉こそ、僕にとっては示唆的です。

“交流”
いいですねー。
新しい人間関係の輪を紡いでおられるのでしょうか?
縁起でもないかもしれませんが、新しい知人・友人を作れば、あの世への土産話も増えそうです。

僕もMON吉さんに続けるように頑張ります。

No title

お元気ですか?

楽しい・・はないですね。ほんと、楽しい!!て感情はもう湧きません。

そうです、喜びですね。嬉しいとか有難うとかっていう感情を大事に生きていきたいですね。

私には子供が二人いますが、きっとこの子たちも父親がいた時の「楽しい!」って感情は湧いていないと想います。何かやっぱり物足りない、そう、お父さんがここに居ないから・・。
お腹を抱えて笑う・・・笑った事ないです、もう。
でも、嬉しい時、感動した時、これは心の底から湧き出ます。
今日ふと想いました。私は後どのくらい生きるんだろう、何歳で夫に再会するんだろう、夫はどんな顔して迎えてくれるんだろう。私は夫に迎えられた時やっと会えたって泣くのかな~、嬉しくて飛びつくのかな~、お互いがはにかみながら手と手を差し伸べ合うのかな~、って。

せいじさん、共感しています!!ありがとうございました!!

Re: No title

serenaさん

こんにちは。
コメントありがとうございます。

「再会」について、思い出すシーンがあります。
何年か前、拉致被害者の曽我ひとみさんがインドネシアでご家族に再会した時の、曽我ひとみさんとジェンキンスさんのキスシーン。

正直に言います。
公衆の面前でのあの激しい行動に、当時、僕は多少引きました。

でも今では理解できます(同じ状況で同じ行動を自分がするかと言えば、それはまた別の話ですが・・・)。
人間の愛情の深さとか激しさとかは、僕の認識の範囲を全然凌駕していました。
“逢いたい”という気持ちに胸を締め付けられて、息苦しささえ感じてしまうほどの感情が自分にあるとは思いませんでした。

「再会」できたら・・・きっと理性のタガがはずれてしまって、自分がどうなるか想像つきません。
どうするんでしょうね?
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これまでにほんブログ村の「子宮がん」カテゴリに参加していましたが、思うところがあり、登録をはずさせていただきました。ご了承ください。
プロフィール

むらさきせいじ

Author:むらさきせいじ
2011年春、妻をなくした40代です。
本当に本当にありふれた人間ですが、人生の半ばともいえる40代で世界中でいちばん大切な人を喪失したことはそれなりに特異なことだと思います。
そんな状況におかれた心情を綴っていくことで少しでも心が解放されたらと思っています。
プロフィールのサムネ画像は、妻が描いた僕の顔です。

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