外科手術

Category : あかねの闘病について

→前回の闘病記はコチラをご覧ください。

手術の日の朝が明けました。

僕は朝早くから病院に乗り込んで、あかねのそばについていました。
でもその時何を話したか、もう何も憶えていません。
僕自身緊張していたのだと思います。

でも僕以上に緊張をしていたはずのあかねは、普段どおりのあかねでした。
少なくとも表面上はいつものあかねの表情だったと思います。
ただ、普段から内面の「つらさ」を表に出さないあかねのことなので、実際は重苦しいものを胸に抱いていたのかもしれません。

手術前覚えているのは、病室から手術室へ向かうために看護師さんに車椅子を押されているあかねの後姿です。
とても長い廊下を車椅子は進んでいきました。

これからあかねはたった一人で闘ってくる・・・。
あんなちいさなヤツ(あかねは身長153センチ)が、この大変な闘いに勝てるのか?・・・。

本当に長い廊下だったので、かなり長い間その後姿を見送りながら、そんなことをぼんやり考えていたと思います。

その姿が廊下を右に折れ見えなくなるまであかねの両親と一緒に見送り、手術の終了を待つことになりました。

あかねの両親は都合により、これから一旦病院を離れることになり、僕一人が病院に残ることになりました。
執刀医の事前の説明では、あかねの体力の消耗を考慮して2時間程度で終わらせたい、とのことでした。
もしそれよりも早く手術が終わることは、周辺臓器への浸潤等で病巣の摘出が叶わなかったことを意味します。
僕は、あかねの病室のあるフロアの目の前に掛け時計があるベンチに座って、ひたすら待つことにしました。

あんなにただひたすら「待った」経験はそれまでなかったと思います。
時間を潰すために本を読んだり、携帯を眺めたり・・・一切しなかったと思います。
時折目線を上げて時刻を確認して、また目線を落としてただ「待つ」。
その繰り返しでした。

記憶が正しいなら、看護師さんが手術の終了を告げに来たのは手術開始から一時間半程度経過した頃だったと思います。
とても微妙なタイミングでした。

ちょっと早くないか・・・?

考えまいとしても悪い方に思考が傾いてしまいます。

手術が終わる頃には病院に引き返してくると言っていたあかねの両親もまだ到着していません。
僕は一人で結果を聞くべく、看護師さんの先導で手術室に向かいました。

手術室には手術を終えたばかりの執刀医が佇んでいて、傍らには白い布を被せた金属製のトレーのようなものがありました。
僕が近づくと医師はその布をめくり、あかねの身体から取り出したものがあらわになりました。

そこには三つの臓器が収められていました。
つまり、子宮と両卵巣のすべてが摘出されていました。

「奥さんがんばってくれて、何とか摘出できました。」

「・・・全部とっていただけたんですね?」

そのあとは「ありがとうございました」と頭をさげながら何度もその言葉を繰り返しただけで、ほかに言葉が見つかりませんでした。
言葉の代わりに出てきたのは、口から出るものではなく目から流れ出るものだけでした。

あかねはしばらく麻酔科の医師の監視下で経過を確認され、落ち着いたら病室のあるフロアに戻ってくるとのことでした。
僕は一足早く病室のあるフロアに戻り、あかねの両親にメールを打ちました。

「あかねでかした!子宮、卵巣全摘出成功!」

それだけ入力して、一秒でも早く着信しろ!と想いを込めて送信キーを打ちました。
ほどなくして両親が到着し、エレベーターの扉から出てきた義父と握手を交わしたと思います。
前夜、はじめてあかねが発症した病気と今日手術をすることを伝えた僕の両親も駆けつけ、あかねが戻ってくるのを待ちました。

そして予定よりかなり時間は押しましたが、あかねは無事僕たち家族のもとに帰ってきました。

さすがに術後まもなくでぐったりとはしていましたが、意識もはっきりしていて言葉もしっかりしていました。

「あかね、よくがんばったな。」
「先生が、全部とってくれたで。」

あかねのことを褒めちぎってやりたいのに、ありふれた言葉しか出てきません。

「写真撮ってくれた?」
とあかね。

実は、病巣の摘出が成功したら写真にその臓器を撮っておくように手術前に頼まれていました。

「そんな余裕あるかっ!」

正直に答えました。
このあたりのあかねとのやりとりは、普段自宅で交わしているやり取りと変わりなく、今思い出しても僕は本当に安堵の気持ちでいたんだな、と思います。

ちなみにあかねのこの依頼は、僕ではなく執刀医が密かに叶えてくれていて、手術の日の夜、あかねは自分の身体から取り出されたものをデジカメのモニタで見ることができました。
医師の説明を聞きながら僕もいっしょに見ましたが、手術室で生のそれを見た時にも感じたように、「正常な姿は知らないけど、ここで今見ているものはどう見てもろくなものではない」ということだけは感じました。

ともあれ、手術は無事当初の目的を達成し、その夜は僕も簡易ベッドを借りてあかねのそばに一晩中付いて過ごしました。

あかねの身体にはまだ数箇所の転移が残されており、今後は抗がん剤治療が施されることになっていましたが、この手術を乗り切ったことで、僕は本当に無防備に安堵しきっていました。

後々、癌との本当の闘いは手術後であるということをネットや書籍の情報で知ることになりますが、この時は「あかねは助かった」と、その喜びにただただ浸っていました。

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Author:むらさきせいじ
2011年春、妻をなくした40代です。
本当に本当にありふれた人間ですが、人生の半ばともいえる40代で世界中でいちばん大切な人を喪失したことはそれなりに特異なことだと思います。
そんな状況におかれた心情を綴っていくことで少しでも心が解放されたらと思っています。
プロフィールのサムネ画像は、妻が描いた僕の顔です。

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