元日です。

個人的には昨日が今日になっただけですが(これを書いている時点ではもう昨日ですね)、
世間的にはやはり節目の日です。
自分の実家とあかねの実家に顔を出してきました。


朝、まずは僕の実家に向かうべく部屋を出て、郵便箱をのぞくともうそこにはほんの数通ですが年賀状が入っていました。
その中の一通は、僕が新卒で入社した会社の先輩からでした。
その会社は、今僕が住むところから遥か遠く北陸に本社があり、その先輩は今その本社に勤務しています。
僕はその会社を18年ほど前に退職していますが、その先輩とは大阪の営業所で一緒でした。
その大阪営業所時代、その先輩が担当していた得意先を、担当変更により僕が引き継ぐことになりました。
その数ある得意先の中の一件に勤めていたのがあかねです。

その先輩(この先、Hさんとします)は、体つきもデカイけど気持ちも大きなひとで、気さくで外交的で、得意先のイチ社員であるあかねともとても仲良くしていました。
事実、引継ぎであかねの勤めるお店にHさんとふたりで訪問した時、Hさんとあかねのやり取りを見ていて、
「こんなにお客さんと仲良くするなんて俺にはムリムリ」
と内心、
「このひとの後任はきついなー」
と思っていたくらいです。

あかねと結婚してから後、あかね自身も、
「あたし、Hさんのこと好きだったんよー」
とおおっぴろげに言っていました。
それを聞いて、僕は嫉妬心を募らすどころか、
「あーそれはそーかもなー」
と納得する始末でした。

そのHさんは、その頃にはすでに転勤していた北陸から、僕が今住む瀬戸内海沿岸の街で挙げたあかねと僕の結婚披露宴にも駆けつけてくれ、逆にHさんがそれからほどなくして結婚された時には、僕とあかねが招かれた披露宴の出席のために北陸におもむきました。

ちなみに、Hさんの結婚相手はくだんの会社の大阪営業所で事務をしていた女性で、もちろん僕はよーく知っているし、あかねも業者と得意先のつながりで知らない仲ではありませんでした。
つまり、僕等四人は互いに知り合った間柄でした。
(さらにちなみに、年齢的にはHさんとあかねは同級生で、Hさんの奥さんと僕は同級生でした)


あかねが亡くなった日の朝が明けた時(あかねの臨終は午前2時27分)、僕は10数年も前に退職した会社のこのHさんに電話をして訃報を伝えました。
「このひとには絶対に伝えておくべき」・・・理路整然とした根拠は説明できませんが、僕は何の躊躇もなく連絡したのを覚えています。


そんなHさん夫妻から届いた年賀状に、手書きで書かれていたメッセージは・・・

「長男の受験が終わったら、顔を見に行きます。久しぶりに飲もうぜ!!」

でした。

あのHさんと奥さん(Tさんとすることにします)の子供さんが(高校)受験を控える年頃になっているとはっ!
あれから流れた年月の長さをまずは思い知り、
「お互い遠くまで来ちゃったなー」
なんてことをぼんやりと思いました。

んっ?
でも待てよ。

「顔を見に行くって?どういうこと?北陸から、この街まで来るってこと?」

「いや、でもムチャクチャ遠いぜ・・・Hさん・・・」

Hさんのことだから勢いでいい加減なことは書かないと思うけど・・・
真偽のほどはおいといて、その一節を見て僕が想い至ったことは、

「このひとに会ったら、あかねのことやいろんな想いがぐちゃぐちゃになって、俺、絶対に泣いてしまう」

ということでした。

Hさんと奥さんのTさんも含めて、四人がまだ20代だった頃、
今想い起こしても、瑞々しい感性で日々を過ごせていた無邪気でいい時期でした。
お互いにまだ独身だったHさんと僕は毎晩のように会社の近くの居酒屋に入り浸り、ほとんどはどうでもいいとるにたらないことが大半でしたが、時にはあかねのことやTさんのことを、成熟とは程遠い20代なりにまじめに話し合うこともありました。

あれから月日が経って、Hさんのご長男は高校受験を控える歳になり、
僕の髪の毛には白の領域が増えていき、

あかねは・・・。


理由なんて説明できはしません。
でも、きっと涙腺は決壊する。

今はその日が待ち遠しいような、怖いような気持ちです。



話は変わって、僕の実家を後にしてから、今度はあかねの実家に向かいました。

その角を曲がればもうあかねの実家は目の前、と言うところで、
見覚えのある女性を見つけました。

あかねの古くからの友人です(ちょっとややこしいですが、このひともTさんとします)。

今は大阪で仕事をしていて大阪に住んでいますが、Tさんの実家はあかねの実家と歩いて数十秒のところにあります。
今日は正月ということで帰省されていたようでした。

あかねとは確か中学・高校と同級生だったと思います。
僕も何度も会ったことがあります。
あかねと僕の結婚披露宴ではビデオ撮影係を務めてくれ、そしてあかねの通夜・告別式にももちろん参列してくれました。
きちんとお会いしたのはその告別式のときが最後だったと思います。

僕は、車のウィンドウを下げて、
「Tさん」
と声を掛けました。

車を停めて、路上で短く会話を交わしました。
会話の中で、Tさんが(おそらくはその他の友人数名の方と連れ立って)何度もあかねのお墓にお参りしてくれていたことを知りました。
それと、以前は頻繁に集まりあっていたあかねを含めた友達グループの、集い合う頻度が、少し減ってしまったことも漏らされていました。
「みんなを集めてくれるひとがいなくなっちゃたんで・・・」

僕がいつまでもあかねの伴侶であり続けようとするように、
友達の皆さんも、いつまでも友達でいようとしてくれていることへのありがたさと、
友達グループの中にあって、みんなを集めようと奔走していたあかねを思い浮かべて湧き上がる哀しさと、
ここでも複雑な心持ちになりました。

そう言えば、亡くなる約2箇月前のあかねの誕生日にみんなで集まろうとしていた友達に、(病名・病状は伏せながら)体の調子が悪いので・・・とあかねがごめんなさいメールをしていたことを思い出しました。
あかね、きっと自分のことはおいといて、みんなに申し訳ないという気持ちで心を痛めてたんだろうな。
僕にはわかります。
思い上がりとは思いません。


冒頭に書いたように、僕自身は昨日が今日になっただけですが、年賀状・帰省という正月恒例の習慣のおかげで、あかねに向けて深く想いを馳せる日になりました。
独りになってから迎える3回目の元日ですが、いちばん感慨深い元日だったかもしれません。


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これまでにほんブログ村の「子宮がん」カテゴリに参加していましたが、思うところがあり、登録をはずさせていただきました。ご了承ください。
プロフィール

むらさきせいじ

Author:むらさきせいじ
2011年春、妻をなくした40代です。
本当に本当にありふれた人間ですが、人生の半ばともいえる40代で世界中でいちばん大切な人を喪失したことはそれなりに特異なことだと思います。
そんな状況におかれた心情を綴っていくことで少しでも心が解放されたらと思っています。
プロフィールのサムネ画像は、妻が描いた僕の顔です。

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