人が泣く理由。
たくさんあると思います。
嬉しい時、とても感動的な話に心を振るわされた時、
そして悔しい時、哀しい時・・・

あかねと二人で暮らしていた頃、僕は悔しかったり哀しかったりして泣いた記憶はありません。

でも、今、堪えきれず泣いてしまう時、その理由は悔しさや哀しさ以外の何ものでもありません。


あかねは闘病中に、僕の知る限り2度涙を流しました。

そのひとつは、以前このブログでも書き残しましたが、あかねの母親のことを思いやっての涙。(→関連記事はコチラ)

もうひとつは、2回目の入院の時。
あてがわれた病室の近くにお産のために入院している方が多く(産婦人科のフロアなので・・・)、
新しく生まれた命が発する泣き声を聞きながら、

「幸せな入院もあるんだね・・・」

というつぶやきとともに流した涙。

あかねらしい優しさと、自分の想いだけではどうにも克服しきれない悔しさが滲み出た涙でした。


2回目の涙は堪えました。

僕は、

「あかねが退院できたら、俺らだって幸せになれるんやで」

と声を掛けるだけで精一杯でした。



この夏、スポーツの感動的な場面に感涙した人も多かったと思います。

歓喜や感動で涙を流せることは「幸せ」のひとつの指標のような気がします。

僕も、努力の果てに勝ち取った結果に純粋に心の高揚を感じることはありましたが、「感涙」とまではいきませんでした。
やっぱり、あまりに重たい現実に感受性が貧しくなっているのかもしれません。
精神的にフラットでないと、「歓」や「喜」への反応が乏しくなってしまいます。


僕は、あかねの病気が明らかになってから2年近く経ちますが、あかねの外科手術が成功した時の唯一の例外を除いて、悔しさや哀しさ以外のものが涙の根拠になったもことは一度もない。


「嬉しさや感動のあまり泣きたいなぁ。」

と思います。

そうしたら、きっと僕がそれなりに立ち直ったサインだと思います。

でも、今のところそんな場面は、あかねとの再会を果たしたその時以外にイメージすることができません。

そしてその時、彼女も久し振りに「嬉し涙」を見せてくれると思います。

あかねの屈託のない泣き笑いの顔、見たいな。


【追記】
8月23日に拍手コメントを寄せてくださった方へ。
ご自身もお辛い日々を送られている中で、励ましのお気遣いありがとうございました。
コメントのお言葉を励みに頑張ります。


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これまでにほんブログ村の「子宮がん」カテゴリに参加していましたが、思うところがあり、登録をはずさせていただきました。ご了承ください。
プロフィール

むらさきせいじ

Author:むらさきせいじ
2011年春、妻をなくした40代です。
本当に本当にありふれた人間ですが、人生の半ばともいえる40代で世界中でいちばん大切な人を喪失したことはそれなりに特異なことだと思います。
そんな状況におかれた心情を綴っていくことで少しでも心が解放されたらと思っています。
プロフィールのサムネ画像は、妻が描いた僕の顔です。

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