→前回の闘病記はコチラをご覧ください

宣告を受けたからと言って、僕のあかねに対する姿勢は変わりません。

なぜなら、僕はあかねが「死んでしまう」ことがどうしてもイメージ出来ないからです。
僕のそばからいなくなってしまうことを想像することなんて出来ませんでした。

いつものように、会社を早退する時にあかねに「これから病院に行く」とメールを飛ばして、会社から病院までの道のりを車を走らせます。

あかねに病院に向かうことを知らせるメールの返答は、いつの頃からか

「はい」

の一言だけになりました。

メールを返すことさえ重労働になっていたのかも知れません。

病院に着いて足早にあかねの病室に向かいます。
病室に入る前は、必ず手洗いをしました。
あかねにとってマイナスになりそうなことを避けるためです。
間仕切りのカーテンを開けてベッドを見やると、あかねは眠っていることが多くなりました。

そんな時、僕はそっと眠らせてあげることしか出来ません。
目が覚めたら、普通に話し相手になります。

時間が合えば、放射線を当てる処置室まで車椅子を押しました。

爪が伸びていたら、切ってあげました。

発熱している時は、額にのせるタオルを何度も水にさらしました。

話をしている途中に、あかねは吐き気をもよおして黄色い胃液を吐くこともありました。
その度に、胸を締めつけられながら受け皿を取り出し、あかねの口元に添えました。

いちばん口にし易かったハニーデューが震災の影響で、スーパーの店頭から消え、お義父さんがあちこちのスーパーやデパートにハニーデューを求めて走りました。

あかねが食べたいといったおにぎりを求めて、何件もスーパーとコンビニをはしごしました。


・・・・僕たちにはそんなことしか出来ないのか?
もどかしさをつのらせる日々が続きました。


そんな頃、放射線治療に付き合って、放射線科の医師と面談した時、
あかねの命の時計は、思ったより早く進んでいることを聞かされました。
3月の初旬に「3ヶ月~5ヶ月」と聞いたいた残された時間が、
「1ヶ月~2ヶ月」との見立てに変わりました。


・・・・このまま、僕はあかねに何もしてやれずに見送ることしか出来ないのか?

自分の無力感にただ打ちのめされるだけでした。

本当に、このまま手立てはないのか?
あかねのために僕たち家族がしてやれることはないのか?
自分自身に対して「お前は本当にこのまま何もせず見過ごすのか?」
といった苛立ちがどんどん降り積もっていきました。


そして、ある日あることを決めた僕は、担当医師にある相談をしました。

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これまでにほんブログ村の「子宮がん」カテゴリに参加していましたが、思うところがあり、登録をはずさせていただきました。ご了承ください。
プロフィール

むらさきせいじ

Author:むらさきせいじ
2011年春、妻をなくした40代です。
本当に本当にありふれた人間ですが、人生の半ばともいえる40代で世界中でいちばん大切な人を喪失したことはそれなりに特異なことだと思います。
そんな状況におかれた心情を綴っていくことで少しでも心が解放されたらと思っています。
プロフィールのサムネ画像は、妻が描いた僕の顔です。

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