→前回の闘病記はコチラをご覧ください。

2011年が明けてからも、しばらくはあかねの様子は変わりなかったように思います。
この頃、あかねはパソコンで「庭」を作り上げていくゲームに熱心で、パソコンの前に座っている時間が多かったと思います。
時折、僕にも自分の庭の様子を説明してくれました。

抗がん剤治療を週一回で継続しているあかねにその後も大きな副作用は表れず、穏やかな日々がまだ僕ら二人には続いていました。

そんな頃から、夜寝る時にあかねが頻繁に寝返りを打つようになりました。

「どうした?」

と聞くと、

「腰が痛い・・・。」

とあかね。

寝転んで腰が痛くない体勢を探して、寝返りを打っているのでした。

そんな副作用があったかなぁ?と思いながらも、僕はまだこの時点では深刻に受け止めてなかったように思います。
抗がん剤開始前、散々副作用の恐れについて聞かされていたため、これまでの経過と照らし合わせるといささか拍子抜けするくらいでしたから。

でも、そんなのんびりした気分は、その日外来に行っていたあかねからのこんなメールで深刻さを帯びはじめます。

「今度の土曜日、パソを買うのつきあって」

会社でそのメールを見た僕は、すぐにいやな予感が走りました。

冒頭に書いたようにその頃あかねは「お庭」のゲームにはまっていて、もしまた入院することになったら病室でゲームが出来るようにパソコンをもう一台買ってくれ、と冗談交じりにあかねから言われていたからです。

僕は

「なんで?」

とだけ返信しました。
この簡素な返信が、その時の僕の困惑度を何となく表しているような気がします。

「近々、入院するかも」

あかねからの再度のメールを見て、すぐに電話をかけました。

聞くと腰の痛みの原因は

「仙骨への転移」

ということが判明したとのことでした。
また、その診察(検査)でリンパ節の腫瘍も肥大していることがわかりました。

この時のあかねのメモには、僕に対しての「抗がん剤が効いてなくてごめんね」という言葉が綴られています。
誰もがそう思っていただけると思いますが、あかねが僕に対して謝るようなことはひとつもありません。
順調そうに見えたあかねの体の内側では、病状が悪い方向に進んでいたのです。
あかねの外っ面だけ見て警戒心が緩んでいた僕こそ、自分のお気楽さに自己嫌悪に陥る事実でした。

医師からは、骨の腫瘍には放射線治療が最も有効と説明を受け、さらにあかねのいまの状態では抗がん剤と放射線との併用は難しいとのことで、すぐに抗がん剤から放射線へと治療の方向転換がはかられました。

入院するまでにはいたりませんでしたが、放射線投射は週末をのぞくウィークデイは毎日通院となります。
「せいじくんの仕事に支障がないように・・」とあかねの父親が毎日我が家まであかねを迎えに来て、病院に連れて行ってくれました。
毎日、あかねとお義父さんが病院に向けて車を発車させるのを見届けてから僕は会社に向かいました。

これが1月の下旬のことでした。

これ以降、あかねはさらに厳しい治療を強いられるようになります。
そばにいる僕は、そんな治療に耐えるあかねを見てたまらなくなることがしばしばありました。
と同時にいつもの自分を失わず、両親が来れば母親を気遣う言葉をかけ、年下の看護師さんにも必ず穏やかな丁寧語で話すあかねを、本当に尊い存在として感じていました。

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プロフィール

むらさきせいじ

Author:むらさきせいじ
2011年春、妻をなくした40代です。
本当に本当にありふれた人間ですが、人生の半ばともいえる40代で世界中でいちばん大切な人を喪失したことはそれなりに特異なことだと思います。
そんな状況におかれた心情を綴っていくことで少しでも心が解放されたらと思っています。
プロフィールのサムネ画像は、妻が描いた僕の顔です。

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