この2ヶ月あまりで、僕には新しい生活習慣がいくつか増えました。
これまであかねがこなしてくれていた炊事、洗濯、掃除といった日々の生活に密着したルーティンはもちろんですが、それ以外にも僕が毎日実行している「儀式」があります。
このカテゴリではそんな新しい生活習慣を書き留めていこうと思います。
僕は2011年4月19日以来、ずっと左手の「小指」にリングをはめるようになりました。
それは、あかねが生前ずっと「薬指」にはめていたリングです。
結婚指輪ではありません。
実は結婚指輪というものを僕は彼女に贈っていません。
そういったセレモニー的なことにかなり疎い僕は、「別にいいんじゃない?」くらいの軽い気持ちで婚前のいち儀式をパスしていました。
あかねは結婚前多少の食い下がりを見せたものの、特に尾を引くことなくこの「儀式のパス1」は容認されたようでした。
ただ、結婚が現実味を帯びてくる以前に、あかねの誕生日がきっかけだったかどうだったかも憶えていませんが、指輪を買って贈ったことがあります。
その頃僕ら二人は、新幹線と電車で2時間以上、車だと3時間程度離れた所で生活しており、毎日彼女に会って確認していたわけではないのですが、指輪を受け取った彼女はどうやらその日以来ずっと自分の薬指にその指輪をはめてくれていたようです。
宝石があしらわれたような高価なリングではありません。
彼女の誕生石の指輪を結婚後プレゼントしたこともあります。
でも、いつも彼女の左手の薬指に収まっていたのはその結婚前に贈った鈍い銀色のリングでした。
シンプルな指輪で普段から着けやすかったのでしょうか?
あかねは闘病中も、手術や放射線治療の時以外はずっと指にはめてくれていたようです。
彼女の闘病メモにこんな文章がありました。
手術直前の記述です。
“結婚前にせいじくんにもらった指輪はあたしにとって彼の分身とも言えるもなので、コレがないとめっちゃおどおどしてしまうんです。なのにつけてはいけないなんてぇーーーー。”
分身は大げさだろ?
でも、今は僕にとってこの指輪が「あかねの分身」となっています。
あかねの容態がかなり悪くなった頃、身体のいたるところに「むくみ」がみられ指輪が外せなくなることが心配になり、義父・義母と相談してモルヒネの影響で意識がないあかねの薬指から指輪を外すことにしました。
その時すでに「スッと」抜ける状態ではなく、せっけん水を使い指から外しました。
あかねの母親がその作業をおこない、僕はその指輪を受け取りました。
その日以来、その指輪の指定席はあかねの薬指ではなく、僕の小指になりました。
おそらくあかねが結婚以来最も長い時間身に着けていたであろうものは、このリングだと思います。
あかねの体温や皮膚の感触をいちばん溜め込んでいるこのリングとともに、僕は一日一日を重ねています。
ある日、一日だけ、指輪をはめ忘れて家を出てしまったことがありました。
会社に向かう途中でそれに気づきましたが、時間的に引き戻すわけにもいかず、
「あかね、すまん。うちにおいてけぼりにしてしまった。」
と胸の内であかねに謝りながら、車をそのまま会社へ走らせました。
この時なんとなく感じ取ることが出来たような気がします。
手術に指輪を外していかなければならなかったときのあかねの気持ちが。
この指輪をしていれば、「今、一緒にいる」という安心感を抱いてしまうことは、きっと思い込みなのでしょう。
自分でも「思い込み」として自分の気持ちのあり様を冷静に見つめてしまうことがあります。
でも指輪を自宅に忘れてしまった時など長時間外してしまっている場合は、気持ちの切実さが一気に上昇します。
今、俺は独り。
一緒にいれば、それほど切迫したことでなくても、離れてしまうと心がキリキリしてしまう。
あかねの「不在」によって、僕はいやがうえでも彼女のことのより深く想う日々を送ることになりました。
本当は、彼女が僕のそばにいる時にこのくらい深く彼女のことを思いやってやれば良かったのに・・・。


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これまであかねがこなしてくれていた炊事、洗濯、掃除といった日々の生活に密着したルーティンはもちろんですが、それ以外にも僕が毎日実行している「儀式」があります。
このカテゴリではそんな新しい生活習慣を書き留めていこうと思います。
僕は2011年4月19日以来、ずっと左手の「小指」にリングをはめるようになりました。
それは、あかねが生前ずっと「薬指」にはめていたリングです。
結婚指輪ではありません。
実は結婚指輪というものを僕は彼女に贈っていません。
そういったセレモニー的なことにかなり疎い僕は、「別にいいんじゃない?」くらいの軽い気持ちで婚前のいち儀式をパスしていました。
あかねは結婚前多少の食い下がりを見せたものの、特に尾を引くことなくこの「儀式のパス1」は容認されたようでした。
ただ、結婚が現実味を帯びてくる以前に、あかねの誕生日がきっかけだったかどうだったかも憶えていませんが、指輪を買って贈ったことがあります。
その頃僕ら二人は、新幹線と電車で2時間以上、車だと3時間程度離れた所で生活しており、毎日彼女に会って確認していたわけではないのですが、指輪を受け取った彼女はどうやらその日以来ずっと自分の薬指にその指輪をはめてくれていたようです。
宝石があしらわれたような高価なリングではありません。
彼女の誕生石の指輪を結婚後プレゼントしたこともあります。
でも、いつも彼女の左手の薬指に収まっていたのはその結婚前に贈った鈍い銀色のリングでした。
シンプルな指輪で普段から着けやすかったのでしょうか?
あかねは闘病中も、手術や放射線治療の時以外はずっと指にはめてくれていたようです。
彼女の闘病メモにこんな文章がありました。
手術直前の記述です。
“結婚前にせいじくんにもらった指輪はあたしにとって彼の分身とも言えるもなので、コレがないとめっちゃおどおどしてしまうんです。なのにつけてはいけないなんてぇーーーー。”
分身は大げさだろ?
でも、今は僕にとってこの指輪が「あかねの分身」となっています。
あかねの容態がかなり悪くなった頃、身体のいたるところに「むくみ」がみられ指輪が外せなくなることが心配になり、義父・義母と相談してモルヒネの影響で意識がないあかねの薬指から指輪を外すことにしました。
その時すでに「スッと」抜ける状態ではなく、せっけん水を使い指から外しました。
あかねの母親がその作業をおこない、僕はその指輪を受け取りました。
その日以来、その指輪の指定席はあかねの薬指ではなく、僕の小指になりました。
おそらくあかねが結婚以来最も長い時間身に着けていたであろうものは、このリングだと思います。
あかねの体温や皮膚の感触をいちばん溜め込んでいるこのリングとともに、僕は一日一日を重ねています。
ある日、一日だけ、指輪をはめ忘れて家を出てしまったことがありました。
会社に向かう途中でそれに気づきましたが、時間的に引き戻すわけにもいかず、
「あかね、すまん。うちにおいてけぼりにしてしまった。」
と胸の内であかねに謝りながら、車をそのまま会社へ走らせました。
この時なんとなく感じ取ることが出来たような気がします。
手術に指輪を外していかなければならなかったときのあかねの気持ちが。
この指輪をしていれば、「今、一緒にいる」という安心感を抱いてしまうことは、きっと思い込みなのでしょう。
自分でも「思い込み」として自分の気持ちのあり様を冷静に見つめてしまうことがあります。
でも指輪を自宅に忘れてしまった時など長時間外してしまっている場合は、気持ちの切実さが一気に上昇します。
今、俺は独り。
一緒にいれば、それほど切迫したことでなくても、離れてしまうと心がキリキリしてしまう。
あかねの「不在」によって、僕はいやがうえでも彼女のことのより深く想う日々を送ることになりました。
本当は、彼女が僕のそばにいる時にこのくらい深く彼女のことを思いやってやれば良かったのに・・・。


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