小さな旅_2

Category : 旅ログ

昨夜、ずいぶん情けない独り言をアップしてしまい、心の凹みにさらに自ら追い討ちをかけてしまったので、気持ちを盛り返すべく出掛けてみました。

行き先は、車で2時間ほどの鍾乳洞です。

なぜそこなのか?というと・・・

以前あかねは、VTRのハンディカメラを持っていて(今でもうちのクローゼットに眠っていますが・・・)、どこかに出掛けたときは、そのカメラでよく撮影をしていました。

昨年、あかねが亡くなった後、
「動いて、話もするあかね」を視たくて、その時にはもう我が家には無かったVTR再生用デッキをあらためて購入し、VTR録画されていた動画をHDDに落としました。
それ以降、思い出しては再生して視ていました。

そのVTRの中に、どうしても僕の記憶にない場所がありました。
それが、今日訪れた鍾乳洞です。

VTR画面の下隅には「1994.5.28」とありました。
結婚する2年半ほど前です。
今から18年前です。
あかねも僕も映っているので、間違いなく一緒に行ったはずですが、どうにも実体をともなった思い出として蘇ってきません。

それじゃあ・・・ということで、その思い出が降りてきて、胸の中にしっくりと収まるように、その場所に行ってみることにした。
というわけです。


10時前に出発して、午前中のうちには目的地に到着しました。

駐車場から鍾乳洞入り口に続く道の右手には、土産物屋や食事ができる店が軒を並べています。
そばの川に流れ落ちる、大きな滝も見えます。

20120513_1.jpg
<ビデオに映る滝>

20120513_2.jpg
<今日撮った写真>


「はいはい、確かにビデオで視たとおり」

しかし、ここに来た、という実感は残念ながら降りてきませんでした。

なんでだろう?
18年も昔のことだからか?

でも、確かに18年前のこの季節、二人でここに来ていました。
26歳と28歳でした。
ビデオに映る僕の髪には一本の白髪もなく、あかねも滅多にしなかったメイクをしていました。


きっと、行き先なんてたいした問題じゃなかったのだと思います。
結婚してからは、旅行に行くときはそれなりに目的地について熟慮しましたが、
一緒に出かけること自体が大イベントだったこの頃は、二人で行ければどこでも良かったんだと思います。
だから、「場所」そのものに対しての記憶はさほどのものではなかったのかもしれません。
(と、無理やり決着をつけました。)

※実は、VTRの中に土産物屋兼食堂みたいなところで、僕がざるそばをすすりながらあかねと話している映像があるのですが、ここのくだりだけは覚えがあります。場所の記憶は飛んでいますが、そんなあかねとのやり取りだけは記憶に残っています。


「せいじくん一緒に来たじゃん!」

都合よく疑問に幕引きをした僕に向かって、今日も小さな額に収まって助手席に乗っていたあかねは怒ったかもしれません。

でも・・・
今日ひとりで歩いてみた鍾乳洞内部はとても通路が狭く、急坂も多くてかなりの難コース(全長1.2キロもある)でした。
こんなところを、体力には絶対の自信が「無い」あかねが踏破したとは思えず、

「ほんとうに一緒にここ歩いた?」

と、二人でここを歩いたことがやっぱり架空のことのように思えました。
18年前はあかねも若かったということか。

20120513_3.jpg
<いちおう、鍾乳洞内の写真を一枚。天井に向かって裂けた空洞です。>



午後3時前には帰宅しました。
往復の移動時間が約4時間。
目的地での滞在時間は1時間くらいの計算です。

ひとりで出掛けても、時間を持て余すだけで、さっさと帰ってきてしまいました。

「今、あかねと一緒にどこかに行けるなら、あの頃以上に場所なんてどこでもいいんだけどな」

気持ちを盛り返すはずが、かえって返り討ちを食らってしまった感じです。


にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
にほんブログ村
思い立って、一泊二日で京都に行ってきました。

京都は、タイトル通り、あかねが専門学校に通うために一時期住んだ街であり、僕もまた、学生時代の4年間を過ごした縁の深い街です。

そして、結婚してからわかったことですが、あかねが京都で暮らした日々と、僕が学生時代を過ごした日々はほんの一時期ですが重なっていました。

だから久方振りに、かつて共通して暮らした京都に二人で行ってみようと思い立ったわけです。
(あかねは今回も額縁に収まりつつですが、助手席に乗せました。)


あかねが住んでいたマンションへは最初に行ってみました。

あらかじめ義母から住所を聞いて判ってはいたことですが、あかねの住んでいた部屋と僕が住んでいた部屋は、実際に行ってみると、車で5分くらいしか離れていていませんでした。

「これは、ほんとうにどこかですれ違っていたかも?」
と思ってしまうくらいの距離感です。

あかねに初めて出逢う数年前のことです。
本当にたまたまですがこんな近しいところで、それぞれの20歳前後の日々を過ごしていたかと想うと、それはやはり感慨深いことでした。

助手席に乗ったあかねが、もしもしゃべることができたなら、さぞかし二人で過去のニアミスに盛り上がったことと思います。

でもひとりっきりでは、はしゃぐでもなく、ただただ、この偶然の事実を静かに噛み締めるだけでした。



あかねの部屋を離れてからは、いち観光者として京都を巡りました。

とは言え、4年も暮らした街なので、超メジャーな観光スポットにはほとんど訪れた経験があります。
(清水寺などは地元から友人が遊びに来るたびに案内していたので、何度もあの清水の舞台に上りました)

・・・そこで、今回は
「20歳前後ではまるで興味をそそられなかったけど、40歳半ばを迎えた今だから見てみたい」
を判断基準に廻ってみました。

三十三間堂の千体千手観音立像
大原三千院
龍安寺の石庭
千本釈迦堂の六観音像
広隆寺の宝冠弥勒菩薩半跏思惟像
嵯峨野化野念仏寺・愛宕念仏寺

以上が、二日間の行程でした。

ひとつひとつを詳しくレポートすると、ものすごい長文になるのではしょります。
けれど、いずれも修学旅行のコースからは外れ気味ですが、貴重な仏像が安置されていたり、日本人のセンスが昇華された庭が築かれているスポットです。


国宝、重要文化財に指定されている仏像をたくさん見ました。

国宝だから・・・重要文化財だから・・・というわけではありませんが、目の前の仏の穏やかな表情に、つい
僕の願いを叶えてくれるのでは・・・?、
というすがる気持ちになってしまいました。

信仰心の薄い罰当たりな僕は、普段仏に手を合わせる行為に、多少の気恥ずかしさを感じてしまいますが、今回だけは、目の前の仏像に手を合わせ、あかねの魂の安寧を祈りました。


“この世に未練を残したであろうあかねのあの世での暮らしが、この世の未練を忘れさせてくれるくらい幸せでありますように”



三千院の苔むした庭や、龍安寺の石庭は、日本人としてのアイデンティティを喚起させられる景色でした。
一面苔が広がる庭に木洩れ日がまだら状に差し込む様子や、白砂を水の流れに見立てた枯山水の庭を眺めると、日本人の、さり気ないけど鋭敏な美意識に素直に感動します。

201200403_1.jpg
<龍安寺石庭>



急に思い立って、あわてて下調べした割には、どこも外れがなく「来て良かった」と思えるところばかりで、われながら上手に廻れた二日間でした。。

二日目は、全国で台風並みの低気圧が猛威を振るった日でしたが、京都市地域では、僕が最終目的地の嵯峨野を離れて帰路に着こうかという頃から、急に雨風が強くなりました(雷も鳴り、雹も降りました)。

仏になったあかねが何とか天気をもたせてくれたのかも・・・。

そんな都合のいいことも頭をよぎりました。

今回は、主に国宝や重要文化財を見て廻ったので、仏像の写真はほとんど撮っていませんが、大原の三千院で庭に佇む石の地蔵を写真に収めていました。
「わらべ地蔵」と呼ばれているとおり、子供のお地蔵さんなのですが、

あかねが仏さんになったらきっとこんな感じかな?

と想像して、ある意味いちばん印象に残った仏像だったので、アップしておきます。

201200402_1.jpg

にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
にほんブログ村
小豆島まで来たものの、この日の計画はほぼノープランでした。

とりあえず、泊まったホテルから南に走ると灯台があるとのことだったので、そこまで行くことにしました。

目的地にはほどなく到着したものの、風は相変わらず冷たく、場所が半島の先端に建つ灯台だけに風が吹きっさらしで、見物もそこそこに車中に戻るはめになりました。

・・・という具合にスタートでは少しつまずいたものの、次の目的地に向かう道中では普段めったに出会うことのできないものに遭遇することができました。

野生の鹿です。

S字カーブの最初のカーブを曲がったところで、目の前に現れました。

20120126_1.jpg

あわててカメラを取り出し、

「そのまま、じっとしとけよー」

とつぶやきながら、デジカメを立ち上げました。

はじめは「じぃーーー」っとコチラを見ていましたが、僕がカメラを向けると、
「さっ」と身をひるがえして逃げ始めました。

「おいおい、じっとしとけって!」

結局、写真に納まったのは、必死に逃げ去ろうとしている鹿の姿でした。
しかもあわてたもので、ピンもボケボケです。

「しかし、こんなところに鹿がうろついてるなんてすげぇなー」

などとのんびりしたことを思いましたが、小豆島では野生の鹿や猪などが生息し、農作物への被害も問題になっているそうです。



鹿と別れたあとは、しばらく海沿いを走りました。

20120126_2.jpg

高知で見た太平洋とは違って、いたって穏やかな海です。

今の時期は寒くてとても無理だけど、春の頃なら半日くらいボーっとできそうだな、と思うような砂浜があちこちにありました。


海か?山か?と問われれば、僕は海を選びます。

新婚旅行もインド洋の南の島でした。
その新婚旅行以来、海で泳いではいないので一抹の不安はあるのですが、10代の頃は泳ぎが得意で水に対する苦手意識もありません。
そもそも生命は海から生まれたのだから、DNAが自然と海を求めるのかもしれません。

いつかは海のそばでひっそりと暮らしたい・・・そんなことをぼんやりと思いました。


次に訪れたのは「オリーブ園」です。

小豆島は古くからオリーブ栽培が盛んです。
この旅行であかねと僕の両親にお土産を買うことをすっかり失念していたので、ここで見繕っていこうと考えたわけです。

それともうひとつの理由があります。
このブログで何度か書いたように、僕は癌患者のための食事療法指南本を読んで一時期そのレシピを実際に作っていた時期があります。
その本での調理用の油は「ごま油」か「オリーブ油」でした。

そのせいで、今でも自炊するときは、ごま油かオリーブオイルしか使いません。
ということで、オリーブにはそこはかとない親しみがありました。


オリーブと言えば、ギリシャが連想されますが、オリーブ園には地中海の雰囲気を演出した建物がいくつかありました。

20120126_3.jpg

だだし、ここに来るならやっぱり日差しが暖かい季節にかぎります。
こんなに寒いと地中海を連想しようにも無理があります。
暖かい時期ならそれなりの雰囲気に浸れると思います。

さて、ここを訪れたそもそもの目的であるお土産ですが・・・
旅行先でお土産を選ぶのはいつもあかねで、僕はいつもまかせっきりでした。
なのでお土産を選ぶことには不慣れです。

散々思案したあげく「オリーブそうめん」なるものを買いました。
小豆島は「オリーブ」と「そうめん」と「醤油」が名産品です。
三つの名産のうちふたつをカバーすればそれなりに土産らしくなるだろう、と安直な発想で選びました。
(結局、あとから別の土産物屋で「醤油ドーナツ」なるものも購入し、三大名産品のすべてをそろえて悦にいりました。)



オリーブ園を後にすると、島の南岸を西に向かいました。
(この日の道程は、おおむね島の南岸を東から西に向かう道程でした)

「醤の郷(ひしおのさと)」を歩いてみよう、思いました。

醤の郷とは、その名の通り昔ながらの醤油蔵が立ち並ぶエリアです。

ほんとにこればっかりはあかねの趣味とは相容れないのですが、僕はこういう「昔のもの・古いもの」に惹かれる傾向があります。(それも年々強くなっているふしがあります)
ここ数年あかねと行った旅行には、そのコースのどこかにそういった「古いものを愛でる」コースを僕が組み込んでいて、あかねに退屈な想いをさせてきたことと思います。

そして、今回も懲りずに醤の郷で車を止めて、あたりを散策しました。

20120126_4.jpg

なるほど、あちこちに風情のある醤油蔵が立ち並び、醤油の香ばしいにおいも漂ってきます。

でも、

ここでも、あまりの寒さにブルゾンのフードをかぶったまま歩いている僕以外に観光客はほぼ見当たらず、寒々しい雰囲気は否めませんでした。
季節が良かったら、自転車を借りてまわったら気持ち良いだろうな・・・、
もう少し人出もあるだろうな・・・。

ここでも、寒さにしてやられた・・・という感じです。

寒さに耐えながらも界隈をひとまわりして、車に戻りました。


車のエンジンをかけると、今度は、フェリーが出る港に向けて東から西に向かって車をスタートさせました。

あまり下調べをしなかったことが災いし、結局バタバタと動き回っただけで、この日に限って言えばあまり島の雰囲気を存分に吸収することはできなかったと思います。
来島時に考えていた、島暮らしの空気感を感じ取るにはあまりにいきあたりばったりでした。

でも、小豆島ならその気になれば日帰りでこれる場所です。
くどいようですが「暖かい時期」に、作戦を練ってまたあらためて来ようと思いました。

そして、そんな想いを抱きつつ、今回の旅をひとまずここで終わらせることにしました。


もともとは、あかねが10代の前半まで暮らしていた場所を見てみたい、という動機でスタートした旅行ですが、結局は四国を半周し、最後は瀬戸内海の島までやってきました。

3泊4日の行程でした。
新婚旅行を除けば、こんなに長い旅行をしたことはこれまでなかったように思います。
あかねと毎年ゴールデンウィークに出かけた旅行はいつも1泊2日でした。

今度の旅では、あかねは僕に話しかけることこそしてくれませんでしたが、いつも助手席に乗って、たまには僕と一緒に景色を見ました。

一緒にいてくれたと思います。
そして、僕本位の旅のコースに少々退屈しながらも、あかねが暮らした小さな港町や、高知の海底館をみて懐かしんでくれたと思います。
小豆島でも、
「そういや、昔せいじくんと来たことあるよね?」
と、結婚前のことを思い出してくれたと思います。

あかね、少しは、愉しんでくれたか?

僕はほんとうにあかねと二人で旅をしている気がしてきて、このまま放浪を続けたい気持ちに何度も駆られました。
しかし、僕はまだまだ現実を生きなければいけない。
まだまだ何もかもを捨てて世捨て人になるわけにはいきません。
放浪への憧れを何とか断ち切って帰路につきました。

でも、今回の旅で日頃以上にあかねを身近に感じたことは確かです。

だから、

暖かくなったまたどっか行こうな、あかね。

20120126_6.jpg
↑小豆島の高台から見た瀬戸内の風景

にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
にほんブログ村
高知の四万十の宿に宿泊した晩、翌日の予定を思案し、宿泊予約をしました。

宿泊場所は「小豆島」にしました。

瀬戸内海に浮かぶ島です。

理由は“なんとなく”です。
強いて言えば、いろんな意味で世間のせわしさと遮断される「島暮らし」に“なんとなく”憧れがあり、“島に渡ってみよう”と思った・・・という感じです。

小豆島へのフェリーは香川県の高松から出ています。
地図を見てもらえればおわかりいただけると思いますが、四万十から高松への道程はほぼ四国を対角線上に突っ切る感じです。
この時点で、旅の三日目は「移動日」に決定しました。


朝、前日に見たサーフビーチをもう一度眺めたあと、高松に向けて出発しました。

しばらくは前日に引き続いて、荒々しい波が打ち寄せる太平洋を横目に海岸線を走りました。

20120125_1.jpg

ですが、その道は次第に山あいの道へと変わり、その後は高速道路の入り口までほぼ海を見ることなく到着しました。
その高速道路にのって、あとは一気に香川県を目指す道程です。


高知といえば「坂本龍馬」、坂本龍馬といえば「桂浜」。
実際、桂浜に立ち寄ることも重々検討しました。

しかし、

「確か、中学生のとき家族旅行で親に連れて行ってもらったことがあるはず。」

という、理由でここは無理やり想いを断ち切りました。
(「あるはず」と書いているように、その旅行のときの桂浜の景色などは一切記憶に残っていませんが・・・)

・・・ところが、
陽のあるうちに小豆島までたどり着こうと考え、「時間優先」で車を走らせた結果、想定していたフェリーに乗り込むまで一時間あまり余裕のあることが、香川県に入った頃に判明。
「桂浜」をすっ飛ばした代償を、ここ香川県で取り戻さねば・・・という事態となりました。

思案のあげく、これも以前から一度は行ってみたかった「金比羅宮(こんぴらさん)」に寄り道することにしました。

僕はなぜか、みやげ物屋などがひしめく寺社仏閣に通じる参道の雰囲気が好きで、
何度かテレビで見たことのある「こんぴらさんの参道」は、数ある参道のなかでも屈指の“いい味をだしている参道”だと思っていました。

「こんぴら」には温泉もあり、あかねと毎年ゴールデンウィークに出かけていた旅行の候補地に何度かあがっていましたが、(ちょっと宿泊施設の料金がお高いため)これまで見送ってきました。



ご存知の方も多いと思いますが、こんぴらさんの名物は本宮まで続く長い石段です。

車をとめた駐車場のおねえさんも
「本宮まで行くなら、杖持っていったほうがいいよ。800段くらいあるから。」
とアドバイスしてくれました。

「杖をつきながら歩くのはちょっと・・・」
と、自分の体力に自惚れている僕は、無料で借りれる杖を断り、石段に向かいました。

20120125_1_2.jpg

参道の賑わいをうまく収めた写真は撮れてなかったのですが、おおむねイメージしていたとおり、参道の左右にはみやげ物屋が連なり、楽しい雰囲気でした。

20120125_4_2.jpg

20120125_4.jpg

もっとゆっくりひやかしながら階段を昇りたかったのですが、なにせ「空き時間」を利用しての参拝のため、あまりのんびりするわけにもいきません。
横目でみやげ物屋をちらちら見つつも急ぎ足で階段を昇りました。

前を行く人を次から次へと抜き去って、そして誰にも抜かれることなく、本宮までの道のりの約8割を踏破するまでは息がはずむ程度でわりあいと気持ちの余裕もありました。

が・・・ここからがキツかった。

残りの150段程度とくに最後の10段くらいは、自分の脳が発した「動け!足を上げろ!」という指示が、実際に石段を蹴る足になかなか届いてくれず、自分の足が他人の足のようでした。

20120125_3.jpg ←自分の自惚れを気付かせてくれた最後の石段

それでもどうにかこうにか本宮までたどり着き、眼下に広がる讃岐平野を一望すると、今度は足早に階段を下りました。
ぼちぼちここを立たないと、目指すフェリー便への搭乗が危うくなっていました。

駐車場まで戻ると、駐車場に隣接していたみやげ物屋の物色もそこそこに、車を出発させました。


スマホのナビの指示が的確で、僕の運転もそれに忠実だったらしく、無事高松に到着しギリギリでフェリーに乗り込みました。

こんぴらでは時折ちらほらと舞う程度だった雪が、高松港からフェリーが出るときにはかなり大粒になっていました。

20120125_5.jpg
↑遠のく高松港。わかりづらいかもしれませんがかなり雪が降っています。


その雪も船上にいるあいだに止んで、フェリーが小豆島に接岸する頃にはだいぶん西に傾いた太陽も顔を見せていました。

実は小豆島にはあかねと一緒に日帰りで来たことがあります。
まだ結婚する前のことです。
その時、島内の何処をどう回ったかも良く覚えていないほど昔のことです。
名勝といわれる「寒霞渓」にも行ったかどうか記憶にありません。
きっと思いつきで「行ってみようか?」くらいの無計画な日帰り旅行だったと思います。

今回はその記憶をたどることが目的ではありませんでした。
十数年前と同じように無計画でなんとなくたどり着いた小豆島ですが、
冒頭に書いたように、「島」での暮らしの空気感をすこしでも感じとれたら・・・。
と思っていました。


その日の宿のチェックインまで少し時間があったので、この日の締めくくりとしてもう一度海を眺めてみようと思い、港からさほど遠くない海辺に立ち寄りました。

そこは、引き潮になったときのみ沖の小島まで続く砂の道が現れて、その砂の道を二人で手をつないで歩くと幸せになるというふれ込みのスポットでした。

「エンジェルロード」(!!!)

と呼ばれているそうです。

およそ独り身の40男にはふさわしくない場所で、回れ右をして黙って立ち去ろうかとさえ思いましたが、たまたま僕が浜辺に立った時が引き潮時でエンジェルロードが姿を現していたので、せっかくだからと思いなおしてしばらく眺めていくことにしました。

そして、その時もエンジェルロードの上に一組の男女の姿がありました。


もし生前のあかねとふたりで来ていたら、あの二人のように僕らも手をつないで歩いただろうか?

仮にあかねが手をつなごうとしてもきっと僕はつきあわなかったと思います。
「いい年をして・・・」的な照れで拒んだと思います。

でも、その日その時、あかねが突然現れて、僕のそばに佇んでくれたなら、僕は無条件であかねの望むとおりにしたと思います。


20120125_6.jpg



にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
にほんブログ村
あかねがかつて暮らした町を見た後、旅の二日目以降はおまけの旅でした。
僕は“なすがまま”の旅行をすることにしていました。
以前予告したとおり、今回はその後の旅のことを書きます。

とりあえず、二日目は四国の西の端を海岸線づたいに南下し高知県の四万十まで行くつもりでした。
四万十川にかかる「沈下橋」を見たいと思っていました。

高知県に入り、まず「竜串」というところで、車を止めました。
ここには「足摺海底館」というものがあります。
いくつかの覗き窓を抜いた部屋が海面下にあり、実際の海中を泳ぐさかな達を眺めることができるとのことでした。

↓これが足摺海底館です。
20120124_1.jpg

なんだか今から40年くらい前の人が、西暦2000年くらいを思い浮かべて想像したような建築物でした。

入館料(思いのほか高かった!)を払って海底館に入館してみました。

僕のほかには、関西イントネーションの子供連れ家族が一組のみ。
気兼ねすることなく、ゆっくりと海中を泳ぐさかなを眺めることができました。

↓覗き窓越しに撮影
20120124_2.jpg

この海底館のすぐ近くには普通の水族館もあり、そちらにも寄ってみました。

「やっぱり水族館のほうがさかなは見やすいな。入館料も安いし・・・。」
などと、小市民的なことを考えながら、ほんとに何年ぶりかの水族館を愉しみました。

後日、あかねの両親にこのときの写真を見せたところ、四国に住んでいる頃、家族でこの足摺海底館に行ったことがあったそうです。

その家族旅行のことを小学生のあかねが作文にして、全校児童の前(だったっけかな?)で発表したそうです。

いつだったかあかねは、
「生まれかわったら、さかなになりたい」
と言っていました。

理由を質した記憶はありませんが、そのときの旅行がルーツなのかもしれません。



竜串を後にして、この日の目的地、四万十川に向けて再び車をスタートさせました。

この日の道程で走った海沿いの国道321号は別名“足摺サニーロード”というそうで、日本の100名道のひとつだそうです。
この日は若干曇りがちの天候でしたが、暖かい時期の晴れた日に車のウィンドウを開け放って走れば気持ち良いだろなーー、というような道でした。

途中何度か車を止めて海や海岸や砂浜を眺めました。
遺影ではなく、呼吸をして体温の温かいあかねがそばにいたら
「早く行こうよー」とせかされていたかもしれません。
でも、フォトフレームに収まったあかねは笑みを浮かべたまま黙って見過ごしてくれました。

「好きなようにしたらいいよ」
「すまん 今回は好きなようにさせてもらう」

そんなような会話を交わしたような気がします。


四万十川の河口付近についてからは、スマホのナビソフトを立ち上げて河口からいちばん近い沈下橋を目指しました。
(沈下橋というのは四万十川に何本もかかっているそうです)

で、このソフトがナビゲーションしてくれた道というのが、右手は山の斜面、左手はガードレールもない川面まで落ち込んでいる崖で、対向車が着たらきびしぞ!というような逃げ場のない細ーい道。

無事たどり着くことができましたが、ほんとうにあの道がセオリーのコースかなー?
いぶかしく思いはしましたが、一本道でほかの道路も見当たらなかったので、あのコースが唯一のコースだったのだと思います。
観光目的の車が少ないオフシーズンでよかった。

沈下橋というのは、その名のとおり川が増水したときに川面に沈むことを前提とした橋で、欄干がないことなどが特徴だそうです。
(それ以上の詳しい解説はコチラをごらんください→「沈下橋」とは

↓佐田の沈下橋
20120124_3.jpg

写真のように欄干がないので、歩いて渡るときでさえ少々頼りない気分がします。
橋の途中、車同士がすれ違うことができるように幅が膨らんだ箇所がいくつかありますが、
慣れないと車で渡るのはちょっと怖いなー・・・
と考えていると、地元の方とおぼしきおばちゃんが軽トラでスイスイ橋を渡っていきました。

ひとが少ない(というより僕のほか誰も橋を眺めているひとはいない)という、状況が物語るように今は沈下橋と四万十川を愛でるには不向きな季節ようでした。
夏にこの景色を見たら、山の緑と四万十川の藍のコントラストがきれいだろうな、と思います。
でも「この景色を独り占めした」という達成感にやや無理やりにひたりつつ、沈下橋を後にしました。


この日は、そのまま四万十に泊まりました。
海の近くの宿で、チェックインまで余裕があったので砂浜に出てみました。
サーフポイントらしく、波が高く、波が浜に打ち寄せる音が耳慣れない僕にはとても大きく聞こえました。
内海の景色に親しんでいる僕には、それだけ新鮮で見飽きることのないシーンでした。
冷たい風が吹くにもかかわらず、しばらく波を眺めました。


今日も寒い中一日振り回したな、あかね。
お疲れ。
明日はどうしよう?

この時点で、まだ翌日の予定は立っておらず、宿泊の予約もとっていませんでした。

三日目以降の「おまけ旅」の報告はまた後日書くつもりです。

↓この日の終着点になったビーチ
20120124_4.jpg


にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
にほんブログ村
お知らせ
これまでにほんブログ村の「子宮がん」カテゴリに参加していましたが、思うところがあり、登録をはずさせていただきました。ご了承ください。
プロフィール

むらさきせいじ

Author:むらさきせいじ
2011年春、妻をなくした40代です。
本当に本当にありふれた人間ですが、人生の半ばともいえる40代で世界中でいちばん大切な人を喪失したことはそれなりに特異なことだと思います。
そんな状況におかれた心情を綴っていくことで少しでも心が解放されたらと思っています。
プロフィールのサムネ画像は、妻が描いた僕の顔です。

むらさきあかねのブログ
カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
counter
最新記事
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

最新コメント
カテゴリ
最新トラックバック
リンク
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR