もうすでに10日余り時間が経過しましたが、
節目として、
七回忌のことを書き残しておこうと思います。

4月19日
あかねの七回忌を執り行いました。
あかねの両親と、
歩くことにさえ足元がおぼつかない、あかねの母親をサポートするために付き添ってくれたあかねの従妹夫妻と、
そして、僕。

こじんまりと節目の法要を執り行いました。


お寺での法要後、
皆で食事をしました。

身内だけの食事の席で、あかねのことはあまり話の話題に上がりませんでした。

この前のあの店での食事は美味しかった・・・
今度はあそこの店に行こう・・・

歳の近いあかねの両親と従妹夫妻はそんな話で盛り上がっていました。

年代の離れた僕は、ひとりそんな4人の黙って会話を聴き流しながら、

「それだけ時間が経ったんだな・・・」

と思いました。


未来の“愉しみ”を語ること。

僕にはまだ出来ないことを、彼らは語っている。
そんなことを話し合えるだけの時間が、
経ったんだな・・・。




あかねのことがあまり語られないその席に、僕は、少しの寂しさを覚えながら、

そして、
期待や希望を込めた「未来」を語ることのできない僕は、

果たして、正しい道を、
あかねが望んでいる道を、
歩いているのか?

わからなくなりました。


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先日の日曜日のこと。

19日に迎えるあかねの七回忌に備えて、
お墓の掃除をしておこうと、あかねの眠る墓地に赴き、
この時期にしては少し暑いくらいの陽気のなか、
黙々と、草むしりをしていたら、


なんとなーく見覚えのある女性が、
むらさき家の墓石のそばに近づいてきていることに気づきました。


「あれーっ!!Oさん!!」


彼女は、あかねの高校の同級生のOさんでした。

あかねの祥月命日を間近にして、旦那さんを連れ立ってお墓参りきてくれたのでした。


Oさんとはあかねの生前何度もお会いしたことがあり、披露宴にも来てくださり、
披露宴の余興で、ピンクレディーの「渚のシンドバッド」を振り付けで踊ってくれた方です。
結婚前も、結婚後も何度もお会いしましたが、
今日お会いしたのは、おそらくあかねの葬儀以来です。


思いがけず、久しぶりに、お会いできたOさんに、
あかねに逢いに来てくれた感謝の言葉を連ねているうちに、

もうひとり、

今度は老齢の男性が現れました。

あかねの父親でした。


「あれーっ、マジかっ!」


お義父さんも、七回忌に備えてお墓の掃除にやってきたのでした。

今日はあかねの実家に申し合わせをしていなかったので、僕一人で掃除をしてそそくさと帰るつもりでしたが、
考えていることは同じでした。

あかねの父親とOさんは顔見知りでもあり、お義父さんはOさんとあかねのお墓で会えたことにとても感激したらしく、繰り返し感謝の言葉をOさんに伝えていました。

七回忌を直前にして、あかねの墓前がにぎやかになったことはとてもうれしいことでした。




あれから6年が経って、
あかねのことを、想い浮かべる人たちはどのくらいいるのだろう?

あかねの両親と、そして僕。
あの日から、一日たりともあかねに想いを馳せなかったことはないだろう。

そして、

決して毎日ではなくにせよ、
折にふれて、
あかねのことを想い出してくれるくれるひとたち、
心の中にあかねを生かしてくれている人たち、
どれだけのひとたちがいてくれるだろう?


あかねのことです。

生前、たくさんのひとたちを、
魅了したはず。
(いちばんあかねに魅せられたのは僕だと自負していますし、あかねと夫婦でいられたことに誇りも持っています)

願わくば、多くの人たちの胸に、
今でもあかねが息づいていますように。

あかねという、
チャーミングな人間が、
忘れられることなく、
たくさんの人たちの記憶に留まってくれていますように。

偶然、Oさんにお会いできたことで、
きっとその願いは叶っているんだろう・・・

そう思えました。


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6年前の今日は
東北の地が 数えきれないほどの
悲劇にみまわれた日

この日を忘れることはありません

それは偶然に過ぎないのかもしれませんが
6年前の今日は
僕もこの世界でいちばん大切なひとの
僕の人生に欠けてはならないひとの
余命
を告げられた日だからです

この日から約1箇月後

僕も愛おしい
とても愛おしいひとを
喪いました

被災された方々
愛しいひとを亡くされた方々が
この6年間をどのように生きてこられたかを
僕は想像しきれないけれど

僕は勝手に

生き残って
6年間という時間を歩まれてこられた被災者の方々と
自分が過ごしてきた6年間を重ね合わせてしまいます

答えなんて見つかるわけないけれど
今 何を想い これから先の未来をどんなふうに見つめているんだろう?

そんなことに想いを馳せます

僕は
「がんばってください」
とか
「前向きに」
とか

そんな言葉を
とてもじゃないけど
被災者の方々に掛ける心境にはなれません

そんなレベルじゃない

と思います

そんなステレオタイプな言葉が虚しく響くくらい
当事者の方々は
一日一日を
生命の限りを振り絞りながら
重ねていらっしゃるに違いない

と思います

そんな方々に
軽々しい励ましの言葉を掛けることは
僕にはできません


ただただ

僕が死ぬまで
あかねのことを
忘れないように

遠い東北の地で起きたことも
忘れないでいよう

と思うだけです


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2月26日。

今日はあかねの誕生日。

生きていれば51歳。


会いたかったなー。
51歳のあかね。

あかねが生きていたころ、
仕事帰りの遅い僕は、
その時間空いている店は、
コンビニくらいしかなくて、
ホントにささやかなスウイーツ的なものしか買って帰れなくて、
でも、あかねは喜んでくれて。


僕のほうが、満たされた。


いつの日か、
またふたりで、
そんな日を迎えたい。

誰かを喜ばせることで、
自分が満たされる。

あかねから教わった、人生で大切なことのひとつです。


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厳しい寒さが長らく続きましたが、ここ数日は、刺すような冷気も少し緩んだような気がします。

昨年11月、結婚記念日にアップしてから、
冬眠でもするように、なにも書けない日々をズルズルと送ってきました。

今日は19日。
月命日の墓参りにおもむくと、太陽の光線は白く眩しくて、風が止めばぬくもりさえ感じて、
それで
゛そろそろ、起きるか・・・゛
という気持ちにもなったので、この記事を書いています。

あかねがいなくても、太陽は昇って沈む。
もうじき丸6年が経ちます。

今日(気が付いたらもう昨日になってしまっていた)、七回忌は4月19日に執り行うことをあかねの両親と確認しました。

僕は、生きて、
きっとその日を
迎えるだろう。

この6年間、自分なりに頑張ったつもりです。

あと何年、
あとどれくらい、
あてのない毎日を繰り返していけば、
辿りつけるのだろう?

歳を重ねるごとに、気力も体力も削られてゆく。
今朝なんて、右足のふくらはぎから太ももの裏がつって、その痛みで眼が醒めた。

この先、時間の経過とともに、
ただ生きているだけのことにさえ、
わずらわしい身体的なメンテナンスを必要としていくだろう。

もう、いらないのだけどな・・・。

自分の命を繕う、めんどくさいあれこれに、労力を注ぐモチベーションはありません。

春という季節は、終末感に襲われる。
自分の「終わり」をも期待してしまう。

そんなことじゃいけないことも解っているつもりだけど・・・。


早く、余計なことを考えることも出来ないような、
暑い夏がこないだろか。
あかねの苦しむ顔と、唯一かぶらない、夏がこないだろか。


久方振りの近況報告が
こんな感じで面目ありません。

こんな時期もあるさ・・と
自分には言い聞かせて、
また明日も、あかねに一歩近づくべく生きてみます。


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お知らせ
これまでにほんブログ村の「子宮がん」カテゴリに参加していましたが、思うところがあり、登録をはずさせていただきました。ご了承ください。
プロフィール

むらさきせいじ

Author:むらさきせいじ
2011年春、妻をなくした40代です。
本当に本当にありふれた人間ですが、人生の半ばともいえる40代で世界中でいちばん大切な人を喪失したことはそれなりに特異なことだと思います。
そんな状況におかれた心情を綴っていくことで少しでも心が解放されたらと思っています。
プロフィールのサムネ画像は、妻が描いた僕の顔です。

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